面白い地名の付け方・明治期の町村合併

明治初期山口県厚狭周辺(旧厚狭郡山陽町に属する地域)には次の8ヶ村があった。
山野井村、山川村、鴨ノ庄村、厚狭村、郡村、津布田村、埴生村、福田村である。

その後明治21年(1889)4月に市制町村制が公布されると、国による町村合併の取り組みが進められたが、この時の経緯を昭和59年山陽町教育委員会発行の「山陽町史」の記述を元に見ていくと、

この時山口県の初期案では以下の通り提案された。
1、郡村、厚狭村、鴨ノ庄村を合併して厚西村
2、山野井村、山川村を合併して山井村
3、埴生村、福田村、津布田村を合併して埴田村
であったが、村側の受け止め方には色々有ったようで、

1、の厚西村は古来厚狭郡を東西に分けて厚東、厚西と呼んだこともあり抵抗なく了承された。
2、の山井村は発音すると山野井に通ずるとの山川村側から異議が出され、協議の結果両村に共通する山の字を組み合わせて出とし合併の合をあわせて出合村と決まった。
3、の埴田村は、埴生以下2村の下の名を組み合わせて上下の関係を薄め生田村に変わった。

合併時の名前の付け方は自治体に限らず会社や団体などでも色々な事情や利害が絡み合って紆余曲折、迷走するものだが、この合併時、色々揉めた挙げ句に出した2、の「出合村」と言う名前の特に山と山を合成して出とするアイデアが素晴らしい。
座布団5枚!!!

特に私が通った同じ中学校区で、馴染みがあった出合地区には出合小学校等があり私は古くからの由緒ある地名とずっと思っていたがこの事実を知って、肩の力が抜けた気がした。