3月24日のこの日記に書いた山口県民謡「男なら」の3番は、「高杉晋作さんは男の男よー、偉いじゃないかいなー、オーシャーリシャーリー」で終わる。
山口県人から見た幕末のヒーローNo1は、桂小五郎、久坂玄瑞、大村益次郎、伊藤博文等々を押さえて、高杉晋作ではないだろうか
高杉晋作は外国船討ち払い等藩の危急存亡に際し、庶民から有志を募る奇兵隊を創設したことで世間に知られるが、この名前も高杉晋作が付けたとされ藩の正兵に対しての奇兵である。
故郷厚狭出身の戦没者を祀る厚狭物見山招魂場の由来を書いた「観山招魂社由来」を読むと、俗論派として藩中枢から遠ざけられた厚狭毛利家が、幕府が長州藩を攻撃した四境戦争の折、汚名挽回のため小倉口の司令官だった高杉晋作に直接従軍を嘆願する口上が残されている。
「弊藩(厚狭毛利家:厚西藩と称す)前に因循の汚名あり、兵を出してその恥辱をすすがんと欲す、請う之を聞け」
この嘆願が受け入れられ厚狭兵は86名が強義隊を結成し高杉晋作のもとで海を渡って九州小倉口で戦い勝利に貢献した。
藩の上級武士(大組)の家系でありながら庶民の登用で危機を脱する発想は常人ではなかなか出てこない。
又遊び人の気風をずっと持っており都々逸「三千世界の鴉を死なせ主と朝寝がしてみたい」は彼が作ったと伝わる。
高杉晋作は病気で倒れ明治維新を見ることは出来なかったが、その墓は厚狭の隣町で奇兵隊所縁の下関市吉田にあり、墓には初代総理大臣伊藤博文が故人を称えて「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と揮毫している。
辞世は「おもしろき事もなき世をおもしろく」
実は高杉晋作がなぜ「男の男よー偉いじゃないかいなー」と唱われるのかを書くつもりだったが、前置きが長くなってしまった。次回にその核心を書きます。