中国固有の木造船・ジャンク(戎克)

私のカラオケ持ち歌の一つが尾形大作さんの「無錫旅情」だが 歌詞のなかに「昔ながらのジャンクが走る、はるか小島は三山か~~」 と無錫の街を訪れ「太湖」を眺めた情景を詩っている。

河川、運河、湖、海を通じて中国の交通は大小のジャンクで支えられて来た。中学校の歴史教科書の定番でアヘン戦争を描いた絵があるが、あの絵のなかイギリスと戦っている中国「清」の船、木造で大きな帆を持つのがジャンクである。

西洋の外航船は竜骨(キール)と呼ばれるあばら骨に似た骨組みを持ち波を切って進む構造でスピードと頑丈さを兼ねており現代の船の原型である、また甲板があるため波浪に対しても強く船底へ水が入ることを防止出来ており大航海が可能である。

一方ジャンクは竜骨を持たない平底が基本で、スピードは劣るが船の本体が枡でいくつも区切られたようになっており構造強度が高く、一部に浸水があっても仕切りによって全体に影響しない造りになっておりこれも現代の船に応用されている。

西洋式のスマートな船体からすると少し不恰好な気がして、これで大海を乗り切って行くのはどうかなと思うが、コロンブスバスコ・ダ・ガマなどが活躍したヨーロッパ大航海時代が始まる前既に、15世紀前半「明」の時代 皇帝の命を受け鄭和という人物がジャンクの大船隊(第一回62隻2万7千人)を率いて前後七回、各国を歴訪遠く東アフリカにまで達している。
中国ではこの事が民族的な誇りの一つになっている。

一方日本では鎖国が長く続き幕府の禁令もあって、和船の発達がなく沿岸航海の千石船が限界で、構造も平底で甲板もなく波浪は舷を高くして防ぐだけで、沿岸を航海するだけでも難破事故が頻繁にあった。

明治期日露戦争日本海海戦を戦った軍艦は未だ殆んどが外国製であり、その後日本の造船は徐々に隆盛期を迎え、太平洋戦争後世界一の造船国となるが、現在の造船業は残念だが韓国、中国の後塵を拝してしまっている。