高校野球と大村益次郎

私は全く野球には興味がないほうだが昨日の高校野球の試合、山口県代表宇部鴻城高校と愛媛県代表宇和島東高校の試合がたまたま車のラジオから流れてきて面白い組み合わせだなと思い幕末の偉人の一人を思い浮かべた。

鴻城とは山口県人には馴染みの名前で長く山口地方に勢力を伸ばした戦国大名大内氏の居館を背後から守る詰め城の鴻之峯城に由来し幕末の長州藩諸隊のなかで山口地区出身者の鴻城隊にも名前があり、球児の在籍する学校法人の名前にも使用された。

一方四国宇和島は仙台伊達氏の分家宇和島伊達氏が長く治めた地で幕末には四賢侯の一人と言われた伊達宗城(だてむねなり)公が出た。

この二地域を結びつけるのは徴兵制に基づく明治陸軍の兵制を確立して旧士族の反対派の暗殺に倒れ靖国神社銅像が立つ大村益次郎である。

大村益次郎は元 村田蔵六と名乗る現山口市鋳銭司の村医者出身で、大阪適塾等で蘭学を学んだ後宇和島に行き伊達宗城に仕え洋式軍艦の雛型いわゆる「伊達の黒船」を製造、

その後長州藩桂小五郎の誘いで郷里長州に戻り四境戦争、戊辰戦争の指揮を執る。

現代の球児達には大村益次郎といっても中々知る人はいないだろうが、山口県人にとっては忘れてならない先人の一人である。

ちなみに高校野球の方は宇部鴻城高校が宇和島東高校に勝ったようである。