「笠戸丸」を見つけた

NHKBSで「移住50年目の乗船名簿」がシリーズ4回連続して放映され録画して見た。

昭和43年南米移住船アルゼンチナ丸に乗船した人々を、乗船以降10年毎50年に渡って記録し人生の決断、成功と失敗、幸不幸を考えさせられる出色のドキュメンタリーであり、50年の記録は余程の使命感がないと出来ない仕事だろう。

6月5日のこの日記で懐メロの「石狩挽歌」に突然「沖を通るは笠戸丸」と出てくるのが不思議と書いたが、今回見たドキュメンタリーで、日本で初めての南米移住船「笠戸丸」として画面に現れたのにはさらに驚いた。まさにビックリポンである。

興味が募り調べたが「笠戸丸」は実に数奇な運命の船であることが分かった。

①1900年(明治33年)イギリスで建造後ロシアに売却「カザン」の名で病院船としてロシア艦隊に所属、日露戦争中旅順に停泊の折り旅順攻略中の乃木軍による203高地からの砲撃で着底、戦後日本海軍が引き揚げ捕獲「笠戸丸」と名付け民間へ貸し出し。

②借り手の東洋汽船が明治41年4月ブラジルへの最初の移民船として運航、781名を乗せて神戸からブラジルサントスへ、ブラジル移民の先駈けとなった。

③昭和に入り転売、鰯工船、蟹工船等北海道周辺や北洋で活躍するが、昭和20年8月太平洋戦争に参戦したソ連軍の攻撃で沈没。

以上の経過から見ると歌詞「沖を通るは笠戸丸」は昭和初期に石狩地方の沖で実際にあり得る場面になりニシン漁がまだ盛んだった頃とも重なるが作詞家なかにし礼さんが何から着想されたかはわからない。

因みに笠戸丸の名は故郷山口県の下松市で造船が盛んな笠戸島に由来するらしい。

時代に翻弄されたが、自分の足跡は歴史にきっちり刻んだ船である。