熊谷氏の変遷② 毛利氏への臣従(歴男子へのきっかけ)

私の生まれた村を藩政期に治めていた熊谷氏の記録2回目(7月5日からの続き)

安芸三入荘(広島県広島市)に定着した熊谷氏は室町時代を通じて安芸国守護家武田氏に従い、生き抜いたが、武田氏は安芸に勢力を拡げる長門、周防の守護大内氏を退け勢力挽回を果たすべく山陰の雄 尼子氏に接近、これを背景にして従う熊谷氏等と共に大内氏勢力圏への侵攻を始めた。

この時大内氏側にあった毛利氏は幼い当主の後見役 元就の時代が始まろうとしていた。

永正14年(1517年)元就は同じ国人領主の吉川氏と連合して熊谷氏を主力とする武田と対峙した。兵力の差は歴然で武田方が圧倒していたが戦いの最中、先陣の大将熊谷元直が矢を受けて戦死、熊谷軍は敗走、これを受けて総大将の武田元繁も出撃したがやはり矢を受けて討ち死に、武田軍は総崩れで敗走した。

<<山岡荘八氏の古い小説に「毛利元就」があり私が中学生の頃読んでいるとこの戦いの場面で生家の近所で元々熊谷の家来だったと言われていた複数の家の名字が突然出始めたのにはビックリして親に伝えた記憶がある。私が今でも歴史に思い入れがあるのはどうもこの事も要因の一つと思われる。>>

この戦いで元就は初陣を飾った事になり安芸国での武田氏の衰退と毛利氏の台頭が決定的になる。

この後元直の子信直は武田氏と不和となり離反、毛利元就に臣従する。

信直は娘を元就の子、吉川元春に嫁がせ毛利の縁戚に連なり毛利に臣従する国人領主のなかでも最有力な一族のひとつとなった。