今年の初打ちでの心に残る出会い

昨日はホームコースで恒例、正月2日に行われる初夢杯競技に参加してきた。
コロナウイルス対応で、検温、消毒等を事前に行い、3密防止の食事や風呂無し等、年明けから厳しい現実を再確認させられる。

普段一緒にプレーする人が皆都合がつかず、初めての人たちの組み合わせに入れて貰ったのだが、何れも70~80歳で云わば同世代とも云える。

色々プレーの合間に話をしていく中で、その内のお一人が、衝撃的なことを話された。
7年前にパーキンソン病だと分かり、投薬治療しながらゴルフプレーを継続されているとのことである。
また小規模ながら米作りもされているらしい。
プレーの合間には、難病・パーキンソン病特有のからだの振れが見られるが、めげずに寒いなか淡々とプレーを継続されている。

ご本人曰く、「自分に出来ることは色々なことを前向きにやっていく」考えとのことで、年明け早々感動してしまった。

おかれている立場や条件のもとで、そこから物事を前向きに捉えて努力するか、その立場を悲観的に受け止めるか、その違いは時間経過と共に極めて大きく決定的な差が生じる事を、身を以て教えて貰った気がして、私も頑張らなければと刺激された。

得難い出会いが有った反面、スコアーは44、50、トータル94で目標に遠く及ばず。前半は殆んど云うこと無しだったが後半アプローチミスをきっかけに大崩れ、メンタルの弱さ、持久力の無さを実感、大いに反省。

朝のゴルフ場から遠くの雪雲がかかる金剛山(大阪で一番高い標高1125m)のやまなみを見る
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朝のゴルフコース風景、コースに出る前はいつも元気一杯なのだが、終わって見ると、うなだれることが多い気がする。
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今年の目標はどうしよう

明けましておめでとうございます。

十千十二支(じゅっかんじゅうにし)が一回りした還暦から、更に十二支が一巡りして自分の歳、丑年にたどり着いてしまった。

今日は正月らしい冬晴れで、清々しい朝だったが、いつもの通り雑煮を食べ、少しばかり歩いた後、家内と一緒に近所の神社に初詣してこれを書き始めている。
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この内例年と違うのは朝、雑煮と一緒に日本酒を僅かに飲んだこと。普段は殆んど日本酒は飲まないが、今年は試しに飲んで見ようと決めて一昨日に自分でスーパーマーケットに行き、ワインのような味わいというのを選んで買ってきておいた。

飲んでみると本当に日本酒でなくワインのような感じで、知り合いから以前頂いた日本酒グラスが役に立った。
知人に言わせると、日本酒は冷酒が一番らしいが、確かに分からないでもないなと下戸ながら思ってしまった。

今年は十二支の内折角の自分の歳なので、やはり何か目標が要るなと思い、ゆるい目標を決めて、それなりにあまり肩に力が入らない程度に、頑張ってみることにした。

①今まで栽培したことの無い野菜を一種類チャレンジする。
②ゴルフの年間平均スコアを去年の91.7から縮める。
③このブログを回数に拘らず、何とか継続する。
④終活に向けて蔵書の整理を始める。
⑤毎日の「ストレッチ」と「歩き」を継続する。
⑥年末に完成した本をコロナの様子を見ながらボチボチ配る。

これ以上書くとストレスになりそうなのでこの辺で。
今年も良い一年になりますように。

ようやく本が出来た。

このブログに書いてきたものの内、「ふるさと厚狭」の事や、「歴史関係」を中心に気になったものを抜粋して編集した、自費出版本が、年内ギリギリにようやく出来上がった。

結構絞り込んだつもりだが、写真等も入れたため400ページを超えてしまった。

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表紙カバーの写真は今年10月に山口県厚狭に帰省してこの為に撮り下ろしたもので、子供の頃の想い出と同じく、厚狭の街を見下ろす物見山から、厚狭の象徴・松嶽山方向を見渡した。

本の完成で、リタイア後に設定した目標の内の一つがクリアー出来てホットしている。部数が限られているが、デジタル環境に無縁の知り合いにも、自分の文章を読んで貰えることが可能になり、とても有り難い。

特に「ふるさと厚狭」に関することは、長い間に集めておいた史料が役立ったような気がして満足感がある。

本といえば今まで読むことだけしか知らなかったが、今回の作業を通じて、本の製作過程の一端を垣間見る事ができて勉強になった。
モノを創ることはどんなものであっても、そこに専門性と苦労があることが実感できる。

この本の製作には「朝日カルチャーセンター」のお世話になったのだが、このカルチャーセンターは朝日新聞の関係会社で、生涯学習を手掛けておられ、たまたま以前から日本史の勉強でここに通っており、そこで手に取ったパンフレットで、出版も業務の範疇であることを知って、お世話になることにしたもので、これも縁の賜物かもしれない。

年明けから順次、知人にお願いして読んで貰おうと思っているが、コロナウイルスの関係で難しい面も想定され、気長にいくつもり。

本が出来たのでこのブログの中断も解除して、年明けから少しずつ、2~3日に1回を当面の目標に再開していきますので、どうぞ宜しくお願いします。

◎歩きの途中、道端で見つけた金平糖のような小さな花
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中断中のひとりごと・今年のゴルフスコアから

先日、午後から雨模様のなか、ホームコースで今年最後のコロナウイルス対応ゴルフを終えてきた。

今年はコロナウイルスの関連でその対策ゴルフが当たり前になり会食中止や風呂無しが定着してきた。
また、夏の終わりにぎっくり腰になり、ほぼ2ヶ月間を棒に振ったのが記憶に残る。

例年最後のラウンドを終えるとその年のスコアを集計して平均値等を出すことにしている。

手帳を見返して、今年は36ラウンドしたことがわかったが、計算した平均スコアは91.7。
この記録をつけ始めてから5年目になるが、さかのぼって見てみると、
・2016年ー90.3
・2017年ー89.3
・2018年ー91.5
・2019年ー91.6
・2020年ー91.7

・2017年に平均スコアが90を切ったあとは一度も平均の80台が達成できていない。
・ここ3年間、年毎に0.1ポイントずつ悪化している。何か
年齢一歳が平均スコア0.1と連動しているような。
データから見ると残念ながら微妙な体力低下がスコアに影響しているのかも知れない。
・今年のデータで唯一の良いところは一度も100以上の大崩れをしていないこと、例年1~3回位の100以上叩きが有ったような気がするが、不調の時でも何とか最低限の我慢が出来ている。
・然しその分爆発的な良いスコアも出ていないということになる。ベストスコア84、ワーストスコア99。

◎これで来年の目標が見えてきた。一挙に4年前の実績、平均80台を目指すのではなく、現状の0.1ポイント連鎖を断ち切り2020年の実績スコアを下回る事を、2021年の目標にして頑張ってみよう。
データの示す通り、これからは年齢との戦いかもしれない。

◎歩きの途中、名前の知らない珍しい花
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中断中のひとりごと・日日是好日

日日是好日(にちにちこれこうじつ)という言葉を、初めて聞いたのはいつだったか思い出せないが、春の日差しのなかでゆっくり好きな本を読んでいるようなふんわりとした語感がある。

読み方や解釈にもいろいろあるようだが、私自身は「毎日を自分なりに前向きに生きる」と勝手に思っている。

この題の映画「日日是好日」を観たのはNHKBSTVのプレミアムシネマで、主演が、黒木華さん、樹木希林さん、多部未華子
さんで、好きな俳優ばかりに牽かれて録画した。

物語は非常にシンプルで、黒木華さんの女子大生が母親の薦めで、親友の多部未華子さんと一緒に、樹木希林さん演じる先生にお茶を習い始め、自分の生活や成長のなかにお茶が自然に入ってくる日々が、淡々と描かれる。
正直言って若いときの私なら、多分途中で観るのを止めたと思うが、何故か最後までゆっくり見終わることができ、心地よい余韻が残った。

その映画の記憶が覚めない内に、近くの図書館で本を探していたら、偶然に日日是好日の表紙から原作の森下典子著「日日是好日・お茶が教えてくれた15のしあわせ」新潮文庫、に遭遇、ようやく読み終えた。
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今までいわゆる「茶道」については縁も知識もなく過ごしてきて、いろいろな史料や本にある、歴史上の有名人が、お茶や茶道具に拘る様を不思議な思いで見てきたが、この本を読んだお蔭でその訳の一端が少しばかり理解できたような気がしている。

エッセイスト、ルポライターの著者が大学生の頃に茶道を習い始め仕事の傍ら25年に亘って続けてきて感じ取った15の
心に響いたことが、日々の移り変わりと共に描写される。

映画を先に観ているため、読んでいく途中で黒木華さん、樹木希林さん、多部未華子さんの姿が頻繁にイメージとして出てきてしまい困った。

この本のなかには私自身にも考えさせられる言葉が幾つもでてきたが以下はその一つ、第十四章「成長を待つこと」から

[この世には学校で習ったのとは全く別の勉強がある。あれから二十年が過ぎ、今は思う。それは、教えられた答えを出すことでも、優劣を競争することでもなく、自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみとることだ。自分の方法で、あるがままの自分の成長の道を作ることだ。ーーーーー]

◎我が家のガレージ横に最近植え付けた花
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中断中のひとりごと・李登輝「台湾の主張」

台湾の元総統・李登輝さんについては、その死亡の報道を聞いて2020年8月1日のこの日記に「李登輝さんの訃報」を書いた。

戦後、日本の支配から脱した後、本土からの蒋介石・国民党由来の支配が続いたなかで初めての台湾出身の総統として、台湾が民主化するキーパーソンの役割を担った人で、先の日記にも書いたが外国人政治家の中で最も尊敬する人物の一人である。

先日、近所の図書館を訪れた折り、今年の亡くなられた方の、著作を集めたコーナーが設けられており、李登輝さんが総統在任中の末期に書かれた「台湾の主張」PHP研究所刊、が目に留まりこれも何かの縁と思い借り出して読み終えた。
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この日本人向けの本は「The Road to Democracy」として英語版も発行されているらしい。

李登輝さんは以前、私もはっきり記憶しているように、司馬遼太郎さんとの対談等で台湾が長い間、自分達の国を自分達で治められなかった事を「台湾人に生まれた悲哀」と語られていたが、この本の冒頭でそれを取り上げ、今の台湾と自分自身について徐々に考えが変わってきて、
「台湾という幸福、台湾人に生まれた者の幸福を見出だすことができる」と書かれている。

全編を通して言えるのは約20年前に書かれたものながら、中国本土に対する見通し、本土と台湾との両岸関係、国際情勢など、全く今でも色褪せておらず、如何に先を見通していたか驚いてしまう。

思想遍歴に始まり、中国、アメリカ、日本各々に望むこと
更にはアジアとの関係、二十一世紀の台湾の展望などが書かれていくが、、かつて日本で学び、一時期日本人であったこと、日本の戦後の高度成長を外から見てきた事を踏まえた「いま日本に望むこと」は耳が痛く、また現時点の状況から考えても傾聴に値する。

そのポイントは
・日本の停滞の最大の源は日本社会が多様性を失っていることにある。
・日本には充分な強さがあることを認識すべき。多元的で深みのある文化、強い産業や企業、活力ある人材等。
・国際政治、安全保障で現実性のある行動を。
・もっとアジアに目を向ける。

また、「信念をもって取り組む」の章では
「日本の場合、明治維新の後の留学生や政治家たちが外国の地に立ったときも、なんとか日本をよくしたいという信念をもっていたのである。さらには、終戦直後の日本人が外国で母国を思いながら活動を再開したときも、その信念は強固なものであったはずである」
と述べられており日本の実情を理解し、日本を思う李登輝さんの心情が溢れ出ている。

◎今日の二上山葛城山金剛山と連なる南河内の山々は、冬の晴れの朝らしく、もやがかかっているように美しい。
金剛山のホームページを見るともう5cmの積雪と霧氷がみられるらしい。
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中断中のひとりごと・半藤一利「歴史と人生」

半藤一利さん「歴史と人生」幻冬舎新書、を読み終えた。
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半藤さんは「文藝春秋」編集長等を経て近現代史分野や夏目漱石などに関する著作が多く、特に昭和の日本軍部に対するリアリズムの立場からの痛烈な批判は傾聴に値すると思っている。

最近でも、全61巻が完結した「昭和天皇実録」1万2000ページを保坂正康、御厨貴磯田道史さんと共に徹底検証した「昭和天皇実録の謎を解く」や、秦郁彦、原剛、松本健一戸高一成さんら各方面の軍事史スペシャリストと共に史実を見直した「徹底検証 日清・日露戦争」は、半藤さんが座長役として討議まとめられた、私にとってとても興味深く面白い読み物だった。
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この「歴史と人生」は、半藤さんの80冊以上の著作のなかから「人生捨てたもんじゃないと思わせるこぼれ話等を集めた」とあとがきに書かれている通りのエッセイ集であり190程ある話の内、私が特に気に入った2篇を書き出した。

①あのころ荷風さんは鍋底の石だった。
いろんな人の日記を読みましたけれども、戦時中の荷風の日記「断腸亭日乗」は最高です。・・・・・・山ほどいる日本人の中で、戦争に熱狂せずにあんなに冷静に、あんなに戦争と関係なしに生きた人はいないのではないかと思います。

当時の戦時下の日本はいってみれば沸騰した鍋といっていい。
日本人はみんなカッカとなっていた。

その鍋の底で冷たくもならなければ熱くもならないで一つの石ころがゴロンと転がっている。それが荷風さんですね。

ーーー私のハンドルネーム厚狭吉亭日乗の日乗は、この永井荷風断腸亭日乗」からお借りしたものだ。

藤沢周平の「蝉しぐれ」に泣く。
わたくし(半藤)は「蝉しぐれ」を、拾い読みもふくめて五度は読んでいる。そしてそのたびに、よりそって荷車をひこうとする「ふく」のけなげなさの場面で涙がにじみ、つぎの一行が読めなくなる。・・・・・・

ーーー私(八尾ノ厚狭吉)も「蝉しぐれ」は本で2回、TVで1回、映画で1回。
藩内抗争の余波で、切腹した父の遺骸引き取りに一人で出向いた主人公の少年の、誰も手伝わない荷車を、夏の蝉しぐれの坂道で、幼馴染みの少女「ふく」が黙って押してくれる場面が胸に迫る。

◎ガレージ横に植えた薔薇
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