「日本史サイエンス」

播田安弘(はりたやすひろ)著「日本史サイエンス」講談社ブルーバックスを読み終えた。

ブルーバックスシリーズは「科学をあなたのポケットに」を合言葉に、技術や工学系を中心に科学的なものの見方で課題を解明したり分かりやすく説明する新書版シリーズと理解している。

そのシリーズの中に人文系の歴史関係が入るのは珍しいが、著者は造船会社で長年船の設計に携わる技術者で自称船オタクとされている。

その技術者の観点から船に多少とも係わる日本史上の三つの事件の論点・謎に、歴史研究の本道である文献や古文書に依らず、科学的な手法を用いてアプローチした結果を取りまとめたものである。

そのプロセスを省いた概要を私なりに整理すると以下の通りであり、ものの見方として得るものが有った気がしている。

①Q:第一次蒙古襲来・文永の役で蒙古軍は九州博多に上陸後優勢であったにも拘らず、突然船に撤退しその後暴風雨に襲われたとされるが、なぜ撤退しなければならなかったのか?

A:蒙古軍は一日目に上陸出来ていたのはその内の一部で、その軍も日本武士団の集団騎馬突撃で進軍を妨げられており、撤退はやむを得ないものであった。

②Q:本能寺の変後、山崎の合戦での勝利を手繰り寄せた秀吉の8日間の「中国大返し」は、軍事行動の常識からすると不可能であったにも拘らず成功したのはなぜか?

A:事前の準備なく2万の大軍が8日間で実行することは不可能で、事前に相当準備がされていた。また秀吉は一部船を利用して京に急ぎ周辺武将を味方に引き入れ山崎の合戦で主戦力として活用した。

(なぜ事前の準備がそれ程出来ていたのかについては解明出来ていない)

③Q:太平洋戦争中、当時世界最強の戦艦・大和は長い間活躍する場面がなく最終局面の沖縄特攻で撃沈されたが、本当に無用の長物であったのか?

A:大和を効果的に運用する方法は戦争の過程でいくつもあった。然し戦局の推移で大和を護衛すべき空母と航空機のほとんどが失われたり、艦隊を構成すべき巡洋艦駆逐艦が設計ミスにより多数沈められ、大和は「裸の戦艦」になってしまった。

🔘特に最も興味を覚えたのは太平洋戦争中の日米海軍艦艇の比較の箇所で、巡洋艦駆逐艦の相手から攻撃を受けた場合の耐久力・復元力(ダメージコントロール)に設計思想の違いからくる決定的な違いがあるとする部分である。

特に著者が設計ミスとまで述べているのが、巡洋艦の縦隔壁の有無、駆逐艦の動力系(ボイラーとタービン)の配置から来る日本側の弱点で、この説明は目から鱗が落ちるさすがの船の専門家によるもので、貴重な知見がこの本で得られた気がしている。

🔘今日の一句

 

弁慶が群がり出でて山法師

 

🔘施設の日本庭園、画像検索ではクチナシと思われる。