周防国(すおうのくに)・鋳銭司(すぜんじ)

古代律令制下で令外官(りょうげのかん・制度に規定のない新しい官職)鋳銭司(じゅせんし・ちゅうせんし)は現代で云う造幣局で、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれる和同開珎(わどうかいちん)など十二種の銅銭等を鋳造を担当する役所だったと考えられている。

河内国大阪府)、山城国京都府)、長門国山口県)におかれ、天長2年(825)には長門から周防国山口県)に移された周防鋳銭司が開設されたとされる。

長門国及び周防国(何れも山口県)に鋳銭司が設けられているのは2022年9月15日のこのブログなどに書いて来たように、大仏創建時の材料にもその銅が使われた、長登(ながのぼり)銅山などが近くにあり材料の調達に適していたからだと考えられる。

周防鋳銭司跡は現在の山口市鋳銭司(すぜんじ)にあり昭和41年(1966)に発掘調査が開始され昭和48年(1973)に国史跡に指定されている。

正式な呼称「じゅせんし」がなぜ現在の地名呼称「すぜんじ」になったかについて疑問があり、山口市教育委員会に問い合わせしたところ「明確な由来は無く語られるうちの自然の変化だろう」という答えであった。

部外者の勝手な推理では周防鋳銭司→すおうじゅせんし→すぜんじ、という変化ではないかと思うのだがどうだろうか。

余談ながら、この旧鋳銭司村を有名にしたのはこの地に生まれた幕末長州藩の軍制改革や明治陸軍の創設を指揮した村田蔵六大村益次郎であり、この地の大村益次郎を祀る大村神社を訪れたことを2023年11月29日のこのブログに書かせて貰った。

山口県在住の同級生に参考にと送って貰った地元新聞の郷土史関係切り抜きによると、鋳銭司跡の発掘調査は現在も続けられており今回皇朝十二銭の一つ「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」が見つかったとのことである。

今までの調査では十二銭のうち三種の鋳損じ銭(鋳造の失敗品)が発見されているが、今回の「富寿神宝」は失敗品ではなく完成品で、これまで見つかった銭のなかでは最も年代が古く、周防鋳銭司での貨幣鋳造は設置年の825年から行われた可能性が出てきたとある。

また貨幣史の専門家から「古代のお金作りの実態を明らかにする上で非常に重要な発見」と評価されている。

ふるさとの歴史が日本史の中で重要な役割を果たしているとの知らせは出身者にとって興味ある嬉しいニュースである。

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そばに来て本読みせがむ子蜘蛛かな

 

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