五色塚古墳

住んでいる神戸市垂水区にある五色塚古墳は、築造時に近い形で復元された古墳として聞いており、いつか行ってみなければと思いつつ月日が過ぎていたが、ここに来て二つのことで背中を押されようやく昨日腰をあげて訪れた。

・俳句会でこの古墳のことを詠んだ句に出会った。

・故郷の厚狭にある二基の古墳をきっかけにして少しづつ古代の事にも関心が向くようになった。

垂水駅から15分程度歩けば良いと思って海岸通りを西へ歩いたところ、近くまで来ても電車の線路を渡る道が無く、倍くらい歩いて次の駅まで来たところで線路を渡りその後大きく迂回して引き返す羽目になってしまった。

汗を拭きつつ管理事務所の方に聞くと北側に住宅街を抜ける道があるとの事で帰りはほぼ半分の行程で助かった。

五色塚古墳は4世紀の終り頃の築造とされ全長194m(墳丘高約19m)の前方後円墳兵庫県では最も大きい古墳と言われる。以下の写真の通り明石海峡、淡路島を正面に見る海岸の台地(須磨から明石にかけての海岸線で最も突出した場所)に築かれており被葬者はこの交通の要地一帯を支配した豪族・首長と考えられている。

以前このブログで書いた厚狭の前方後円墳で学んだことから考えると、4世紀後半はヤマト王権古墳文化を浸透させて支配地域を拡大していく時期であり、また古墳の階層でトップに位置する前方後円墳であることからみても、ヤマト王権につながる大首長であったことが想像される。

事務所で貰ったパンフレットを見ると、古墳斜面に葺かれた石の一部は淡路島東海岸産であるとの分析が出ていると書かれているが、実際に復元された古墳の後円部墳頂に立つと、この古墳前方部は淡路島の東側に真っ直ぐ向いていてその符合に驚いた。

以前住んでいた八尾市は百舌鳥古市古墳群の近くであり大古墳の近くを度々通っていたが、今回のように復元された古墳の端から端を歩き、古墳の頂から全体を俯瞰するのは初めてで、その巨大さを実感すると共に古代この築造にかかる労力の大きさ、それを実行出来た権力の大きさなどを実際に体感出来たことは今後にとって大きな収穫であった。

また今回復元され管理されている五色塚古墳を訪れてみて、私の故郷にある二つの前方後円墳遺跡の現地保存状況との落差を残念ながら痛いほど感じてしまった。

・入り口のモニュメントと後方の後円部

・入り口付近前方部から後円部を見上げる

・古墳の周囲を取り巻く円筒埴輪と明石海峡大橋、円筒埴輪は荘厳さを演出すると同時に死と生の世界を切り離す結界の役割を持っていたとも言われる

・後円部墳頂から前方部を経て南方向の淡路島方面を見る。(この写真を施設のいつもの場所に掲示して貰った)

・墳頂部から前方部を見下ろす

・前方部から後円部を見上げる

全体を覆う葺石(ふきいし)はその一部が淡路島東海岸産ということがわかっている。また全体の葺石の量は計算上2784トンにも達するらしい

🔘今日の一句

 

淡路向く古墳をわたる風涼し

 

🔘近くの施設、珍しいバラ科シモツケ(この名前は栃木県の旧国名下野国・しもつけのくに」に由来している)