稲刈りについてのあれこれ

山口県に住む同級生から「グループLINE」で稲刈り作業が始まっていることとの連絡があり、米の味、田んぼで遊んだこと、等々色々な懐かしい話が同級生間で飛び交った。

もう稲刈りの季節かとその早い時期には驚くが早生(わせ)種ではないらしい。早く実って早く収穫できれば、台風などの被害を抑えられ、病虫害のリスクも少なく出来る。

写真では今の農作業では当たり前になっている稲刈りと同時に脱穀(だっこく)迄行うコンバインを使い、集めた籾(もみ)を乾燥機に入れて乾燥し、その後籾摺(もみす)り機で玄米と籾殻(もみがら)に分離する。

その玄米を精米して糠(ぬか)を落とし白米としてご飯を炊くことになる。

都会に住むとポリ袋入り白米をスーパーで買って来ることが当たり前で、なかなか稲刈りなどの米作りのプロセスを知る機会がなく、ひょっとすると子供達の多くは白米として収穫されていると思っているかもしれない。

私の生家は農家だったのでこの稲刈りの時期は手伝いで忙しく、遊ぶ時間などとても無かったように記憶している。

当時の収穫のプロセスは

①鎌での手作業で稲を刈り、それを適当に束ねる。

②田んぼに稲を干すための木組みを作りそこに一束ずつ掛けていく。

③一週間程度干した後でそれを荷車で集めて山にしモーターで動かす脱穀機に人手で一束ずつかける。

脱穀した籾は庭に沢山の筵(むしろ)を広げ天日で繰り返し数日干す。(雨が降るとさあ大変)

⑤干した籾は籾摺り機で玄米と籾殻に分離し玄米は俵に詰めて農協に出荷する。

⑥稲藁(いなわら)は牛馬の餌の分や野菜作りに使う分を除き、籾殻と共に田んぼで焼いて肥料にする。

(LINEでも書かれていたが籾殻を焼くときにサツマイモを入れておくと実に旨い焼き芋になる)

といったことで今では考えられないような重労働であり、機械化は誰もが望んだと思うが、反面そのコストの重圧に苦しむことにもなる。

今では懐かしい風景、懐かしい想い出とも言えるがその時は農業だけはやりたくないと思ったのが本音であった。

農業を離れた立場では、環境や保水、食糧自給の点から米作りは必要だと簡単に言ってしまうが、内実を知っている立場からすると取り巻く労働環境や採算性に目処をつけない限り後継者不足は続く気がして、陰ながら憂いている。

LINEのなかで、米作りとは無縁だったが無性に懐かしさを感じるとの話があったが、稲刈りを含む米の収穫は日本人のDNA中に深く入り込んだ心に響く作業ではないかとも思える。

 

🔘【北西に   松嶽(まつたけ) 聳(そび)え                                                                             厚狭(あさ)の秋】

                                                                      

🔘強い風と雨に耐えながら施設の屋上庭園のフェンスに張り付く健気なアサガオ