広中一成(ひろなかいっせい)著「後期日中戦争」角川新書 を読み終えた。
著者は中国近現代史、日中戦争史などの専門家であり内容を見ると事実を忠実に書こうという志向が感じられ左右どちらにも偏らず中立的であることがうかがえる。
この本の副題が「太平洋戦争下の中国戦線」とあるように日本が、米国ハワイ島の真珠湾奇襲と英国領シンガポールを目指すマレー半島上陸で戦端を開いた、太平洋戦争の開始1941年12月8日以後の中国戦線を振り返りその実像に迫る。
日中戦争は太平洋戦争が始まる約四年前1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)に響きわたった一発の銃声をきっかけに全面戦争、長期持久戦へと拡大していった。
私もこの日中戦争の始まりについては興味があり色々な史料にも触れてきたが太平洋戦争が勃発すると日米戦にどうしても目が行き、その後中国大陸の様子はほとんど知ることがなく、本書のおかげで今まで知識のなかった部分をかなり補足出来たような気がしている。
近現代史のなかでも日中戦争特に太平洋戦争開戦後については、旧日本軍関係の史料も乏しいらしいがこの中で、中国戦線に最初から最後までいた名古屋第三師団に焦点を当て、各作戦に従い中国各地を転戦する状況を追及する。
この過程で、例えば中国の航空基地から米軍機が日本本土を空襲するのを阻止するためこの基地を占領する作戦など、中国戦線が太平洋戦争のための従属的な戦いになっていく様子が垣間見える。
また余り広く知られていないが日本軍が行ったと思える
毒ガスや細菌戦、一部の民間人の虐殺、食糧の現地徴発等々の負の状況も知ることになる。
終戦に際し旧満州では日本軍はソ連軍によりシベリアに抑留され強制労働に服した。しかし中国本土の日本軍はしばらくの間武装の保持を許され、一定期間の後基本的に帰国が可能になった。
この理由を筆者は中国国民党・蒋介石(しょうかいせき)が既に強大になりつつあった共産党軍の動きを抑えるためであったとしている。
名古屋第三師団は終戦5ヶ月後帰国が可能となったが、上海に初めて上陸して後、実に9年9ヶ月に及ぶ日中戦争が幕を閉じた。
◎私は中国上海に駐在したことがあり中国の広大さ、人口の多さを肌で感じたが、どう考えてもこの戦争には無理があったと思えてならない。
またこの本に限らず先の戦争に関する史料や記録を読むたびに戦争は避けなければならないと思う。
◎近くの防災センターに咲いているのはマーガレットの仲間だろうか。