朝鮮戦争でのトルーマンとマッカーサー

月刊誌・文藝春秋が今年創刊100周年を迎えるということで記念の記事が相次いで掲載されている。

3月号には「文藝春秋が報じた世界の肉声」と題してかつて紙上で世界の指導者の声を掲載したものの内、現在の世界情勢の指針になるような声を選択して再掲している。

この中に1956年6月号に掲載された「私はなぜマッカーサーを解任したか」と題した当時のアメリカ大統領トルーマンの手記の一部と「私は自由のために戦った」と題する元国連軍総司令官マッカーサーの手記の一部が対比されて載っている。

二人の対立は朝鮮戦争で起こった。

太平洋戦争終結の5年後1950年6月ソ連と中国に支援された北朝鮮軍は38度線を越えて南進、韓国軍米軍は半島の南端釜山(プサン)近郊に追い詰められた。

国連軍最高司令官に任命されたマッカーサー北朝鮮軍の補給路を絶つべくソウルの近く仁川(インチョン)に逆上陸して勢いを盛り返し、北朝鮮軍は北へ敗走、中国国境近くのところで今度は中国軍が参戦し国連軍を押し戻し、38度線付近で戦線は膠着し1953年7月休戦協定が成立した。

中国軍が参戦した時点でマッカーサーは、海上封鎖した上で、中国本土を爆撃し台湾軍を朝鮮の戦争に参加させる案を主張した。(マッカーサーはこの時原爆の使用を提案したとも云われる)

トルーマンはその案を実行すれば核兵器を含む(ソ連は既に核実験を行っていた)全面戦争になるとしてこれを許さず、納得しないマッカーサーを解任した。

当時のマッカーサーアメリカ国民に絶大な人気があり次の大統領候補とも言われていたが、解任後も手記の中で自分の意見の正当性を主張し続けている。

民主主義では政治家と軍人とが対立した場合文官優位が鉄則でありトルーマンはそれを行使した。

この両者の対立を見ていると戦闘や戦争に勝つことは軍人の仕事であるが、それを終わらせるのは政治の仕事であることがはっきりしていて、またそれが出来ることこそが民主主義でありアメリカの強さなのだろう。

満州事変日中戦争から太平洋戦争にかけての日本は軍が政治を動かしたといっても良いが、この状況を客観的に見ても政治が軍隊を掌握することが如何に大事か良くわかる。

 

【桃蕾ぷくりふっくら朝歩き】

 

🔘健康公園の一角に桃源郷という色々な桃の木が植えてある。その木の蕾が膨らんで来ていよいよ春本番を感じている。