石田三成の幻のクーデター計画と厚狭毛利家文書①

NHK BS に「英雄たちの選択」という番組があり、その時々の内容により興味あるものは録画して観るようにしている。

今回は『石田三成 幻のクーデター計画~「関ヶ原」エピソード・ゼロ~』と題して、天下分け目・関ヶ原合戦の一年前に、秀吉の死後急速に台頭する家康に対し、石田三成など豊臣政権奉行衆が西の雄・毛利輝元と結んで家康排除の行動を起こす計画があったことを取り上げている。

周知のように関ヶ原合戦徳川家康会津上杉景勝を討伐するため諸将を率いて(東軍)東下する間隙を突いて、石田三成など反徳川の諸将が畿内で挙兵(西軍)し東西の大軍勢が関ヶ原で激突、徳川幕府が成立する起点となった戦いである。

番組では石田三成等が反徳川家康クーデターを計画したものの、このときは見送ったがその計画の素地が一年後の関ヶ原合戦挙兵へ結び付いたことを説明していく。

この三成等のクーデターのキーパーソンになったのが、豊臣政権で西国を統括する立場にあった毛利輝元であり、クーデター計画を示す一次史料として私のふるさと厚狭の図書館に寄託されている「厚狭毛利家文書が」使われている。

画面に映し出された厚狭図書館、ただこれは山陽小野田市山陽総合事務所の全景写真であり、厚狭図書館はこの内の一角にある。

番組で紹介の厚狭図書館に寄託された毛利元康宛毛利輝元書状の一部

厚狭毛利家文書については、このブログでも2023年12月15日「厚狭毛利家文書の地元移管」を始め、折に触れ何度も紹介してきたが、この文書のなかで特にこの番組で触れられているのが、毛利輝元が叔父である厚狭毛利家始祖・毛利元康に送った一連の書状である。

この書状のことはこのブログ2021年1月23日「天下分け目・関ヶ原合戦の毛利家②」などでも触れてきたが、当時毛利本家の当主・輝元は毛利の両川(りょうせん)といわれた叔父の吉川元春小早川隆景を既に亡くし、年齢も近い毛利元就八男・元康を相談相手として信頼しており、その輝元の本音が種々垣間見える史料になっている。

この「英雄たちの選択」では歴史家・磯田道史(いそだみちふみ)氏が中心で、今回の出席は城郭考古学者・千田嘉博(せんだよしひろ)氏、脳科学者・中野信子氏の常連と歴史学者光成準治(みつなりじゅんじ)氏となっている。

この光成氏が「山口県史」に収録された「厚狭毛利家文書」を読み解き、秀吉死後の中央や毛利家の動向を解明した内容がこの番組の骨格になっている。

またこの骨格は、以前私も購入して読んで感銘を受けた光成氏の労作「関ヶ原前夜 西軍大名たちの戦い」に依っていることが番組を観ているとわかってきた。

字数も尽きてきたので次回、厚狭毛利家文書の内、毛利輝元から毛利元康宛て書状のなかで、この番組で取りあげられた幻のクーデター計画に関連する一部具体的内容を紹介したい。

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勇みゆく太刀魚狙ふ漁り船

 

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