「戦国武将、虚像と実像」

呉座勇一著「戦国武将、虚像と実像」角川新書刊を読み終えた。

著者は日本中世史が専門の気鋭の歴史家でその著作「応仁の乱」はこの分野では珍しいベストセラーとなった。

著者は「はじめに」でこの本の主題を『「大衆的歴史観」の変遷を追い、日本人の自画像の変遷を明らかにする』と記している。

世間一般の人が抱く歴史認識「大衆的歴史観」は専ら歴史小説や時代劇(江戸時代は講談や歌舞伎)によって形成されて来たとして、最もポピュラーな戦国時代の武将を例にしてその変遷や誤解(実際はどういう人物だったのか)、その影響などを論じたものでありその対象7人そのと課題は以下の通り、

明智光秀、(常識人だったのか?)

斎藤道三、(美濃のマムシは本当か?)

織田信長、(革命児だったのか?)

豊臣秀吉、(人たらしだったのか)

石田三成、(君側の奸だったのか?)

真田信繁、(名軍師だったのか?)

徳川家康、(狸親父だったのか?)

個々の内容には触れないが著者が、終章・「大衆的歴史観の変遷」や「あとがき」に記した核心と言うべき点をピックアップすれば以下の通り。

・戦国武将の人物像は当時の国策や風潮によって大きく変化する。例えば画期的・斬新に見える人物像も100年前に提示されたものの焼き直しということがしばしばある。

歴史小説家や評論家が「大衆的歴史観」の変遷を踏まえずに自説の独創性を誇っても意味がない。

司馬遼太郎歴史観司馬史観」は明治時代が話題になるが戦国時代や戦国武将の評価も検証が必要である。

・戦国武将の人生訓として有名なものは大半が真偽が疑わしい。真偽が定かではない逸話を史実のように語りそこから教訓や社会論を導き出すのは問題がある。

・専門的な歴史学者であってもその時代の価値観から自由ではない。大事なことは自身の先入観や偏りを自覚することである。

🔘全体を通じて歴史学者からみた歴史小説家などやその読み手に対する警鐘と聞こえる。

私も子供時代からの歴史好きで、森鴎外井上靖吉川英治司馬遼太郎津本陽安部龍太郎等々あらゆる歴史小説を読み、またNHK大河ドラマなども観てきたが20年位前から新聞連載を除きこの種のものを読み観ることを止めてしまった。

それはかなりこの本の著者と共通する部分があるが、事実と創作が混然となりやたらに主人公を美化する描写が嫌になってしまったことによる。

現在は歴史家の著作や評論、ドキュメンタリーが中心だが何れにせよ著者と同じく出来るだけ偏りなく事実を知りたいと願っている。

🔘今日の一句

 

春の海雲映しとり墨絵描く

 

🔘施設の庭、画像検索ではこれもヒヤシンスのようなのだが?