著者は1944年生まれのイラストレーター・エッセイストで、今まで中国のあちこちを旅したことのエッセイ「中国銀河鉄道の旅」なども読ませてもらったことがある。
私も著者より少しだけ若い同じ「ジジイ」だが、こと「片づけ」に関しては全く自信がなく、兎に角目的を果たした後は放ったらかしが基本で、いつも座ることが多い家内の2箇所は私の本や新聞、バッグ、資料、小物等が散乱し何か必要になると探し廻るのを基本にしている。
従って著者があらゆる片づけに猛進し本の「まえがき」で、
『モノの片づけは、心の片づけでもある。さっぱりと片づけて、もう一度夢多きあの頃に戻ってみよう。「ジジイの片づけ」は本人も周りの人も幸せにする』
といっているような心境にはとても成れそうにない。
片づけに関して当面の私の最大の課題は若い時からの蔵書をどう処分するかだが、ボチボチ考えねばならない。
この本の「家は生きている作品」という章で著者が作家や画家が生前暮らしていた邸宅が記念館として開放されているところを見て、その空間から人柄や創作現場の姿が垣間見られて興味深いとするくだりがある。
私はあまりこのような記念館に行ったことはないが、唯一訪れて感銘を受けたのが東大阪市にある「司馬遼太郎記念館」である。
司馬遼太郎さんのことは今さら云うまでもない歴史小説家・文明批評家だが中学生以来の読者であり一度は行かねばと思い5~6年前に訪れた。
生前ここで執筆されたという庭を見渡せる書斎なども公開され、その雰囲気は充分感じ取れたが、何より圧倒されたのが記念館の各壁面を埋め尽くす蔵書の量で6万冊の蔵書の内2万冊が展示されているとの事だった。
生前司馬さんが小説を書き始める前になると、そのテーマに関連した古書が東京神田の古書街から全て無くなると言われた話が決して噂だけでないことを実感した。
◎松葉ボタンと思われる