といってもこの本の内容を理解したかと問われると甚だ心許ない。ここ一週間ばかり用事や他のことをしながら断続的にまた繰り返し読んだが、自己評価として完全理解には程遠い気がする。
著者は東大教授やハーバード大学研究員を勤めたイスラーム学の専門家とのことで、イスラームとはどんな宗教なのか、神をどうとらえるのか、イスラーム教徒であるムスリムは(日常)何に従うのかなどを歴史的な面も含めて概説する。
著者は「あとがき」のなかで自分はムスリム(イスラームの信仰を持つ者)ではない研究者だとされており、それだけにクルアーン(コーラン・神が預言者に下した言葉・神の書物)やハディース(預言者・ムハンマドの言行録)などについての客観的学問的掘り下げは半端でないものがあり、この事がこの本を難しくしている。
私のイスラームとの直接的出会いは、現役時代のインドネシアでの数年の間の繰り返し出張で得られたものだけで、断食月、アザーンや礼拝、ヒジャブ、禁酒といった皮相的なものにとどまっていて、昨今の地政学的なイスラーム情報の多さに、一度はこれに向き合わねばと思っていたが、この本のお蔭で少しだけ理解が進んだことは間違いない。
以下にこの本の内、記憶に留めて措きたい何点かを書いておくことにしたい。
・イスラームはユダヤ教とキリスト教を受け継ぎ発展した宗教である。ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの宗教が立てる神は同一であり、ヤハウェ、アッラーなどの呼び方の違いは言語の違いであっていずれも神という存在を唯一とし、神と人との契約という観念がベースに在る。
・この三つはセム的一神教と呼ばれ、ヘブライ語のユダヤ人、アラビア語のアラブ人などはセム語系族であるが、これらはノア(ノアの方舟)の長子がセムで彼がこれらの民族の始祖であるという伝承にちなむ。
・歴史的にはユダヤ教、キリスト教に遅れるが、それらの本来の姿を復興するのだというのがイスラームの立場である。
・イスラームの信仰は人間生活すべての局面を包摂し人間の営み全体の指針を提供するもので、クルアーンの内容は、信者の信ずべき内容、宗教儀礼、社会生活を送るための生活規範、例えば農業や商業活動上の規制、家族関係相続、刑罰などに及ぶ。
少し余談になるが、著者は「あとがき」のなかで自らの研究内容に関連して、以下のように述べているが全く同感である。
『~~「役に立つ」かどうかという狭い観点にとらわれずものごとを見ることを可能にするという意味で「役に立たないもの」の意義は計り知れないものがあるからだ。計り知ることができないため、洞察力のない者には切り捨てることしか考えられないかもしれないが』
🔘今日の一句
草餅の粒餡溢れ母の里
🔘住んでいる施設の図書室から庭への出口、二輪だけのツルニチニチソウ。