旗振山(はたふりやま)登山

こちらに引っ越して来て以来、ベランダから東方向に見える旗振山に登りたいと思いつつ日にちが経過していたが、昨日天気を見計らい頑張って登ってきた。

ベランダから見える旗振山

名前の由来は、江戸時代大阪堂島の米相場の値を旗信号で順次中継する山のひとつであることからで、最西端で旗信号を受けるのは下関であったらしい。

今回登るに当たっての目標は、

①途中の鉢伏山まで整備されているロープウェイを往復使用しないで自力で完結する。

②旗振山の頂上の小屋で昼食、旨いビールを飲む。

③俳句を一句以上詠む

それぞれの結果は以下の通り。

①は苦しいながら完全に達成した。標高253mの低山ながらやはり山は山で、途中標高260mの鉢伏山を越えて行く辺りでは相当堪えて一休み、持っていったラスクで気持ちと体力を回復させてようやくたどり着き、帰りも一歩一歩自力で頑張った。

登山の起点・須磨浦公園と敦盛橋

登山道の入り口辺り

途中の展望台から神戸方向と明石海峡大橋方向を見る

経由地の鉢伏山山頂

旗振山山頂、山頂にある旧国境(くにざかい)標識

山はまだ紅葉までいかない

 

②は完全に失敗。到着してみると小屋はクローズ、たまたま出会った人に聞くと時々不定期で閉まっているらしい。

やむを得ず持参の饅頭を少し食べて水を補給、一休みして下山スタート、麓で昼食を食べることに切り替え、ひもじさに耐えながら注意して一歩一歩。

下山路途中とシダの群落

麓の須磨浦公園近く、駅員さんに紹介された敦盛塚(あつもりつか)の目の前にあるそばやさん〈そば処・敦盛そば〉で名物「敦盛そば」とビールで一人乾杯した。

無官の大夫(むかんのたいふ)と呼ばれる若武者・平敦盛は源平一の谷合戦の悲劇の主人公で唱歌「青葉の笛」でも歌われている。

敦盛を討ったのが私のふるさと厚狭鴨庄を給領地とした熊谷氏の家祖・熊谷直実(くまがいなおざね)である。

小屋が閉まっていて空腹で下山したため予期せず敦盛塚に出会えてしまった。

右手奥の敦盛塚と「敦盛そば」さん

敦盛塚

室町時代後期から桃山時代に作られたものらしい

名物・敦盛そば、腹をすかせて下山した後だったこともありビールと共に沁みる美味しさだった。

③はとりあえず数の方は目標以上に達成したが質の方は悩みが深い

 

【秋晴れに  今日ぞ登らん  旗振山(はたふり)へ】

 

【七十路(ななそじ)が 息を切らせつ  秋の峰】

 

【敦盛に  故郷(こきょう)の縁(えにし)  須磨の秋】