宣言解除後の地域ゴルフコンペ・島ヶ原

昨日は、延期されていた、住んでる地域のゴルフコンペ「田球会」がようやく開催されることになり、三重県伊賀市島ヶ原地区のゴルフ場に出掛けてきた。
この会は20年以上続く稀な会になっている。

解除とは言うものの対策は継続中で、キャデイなしで、レストランの席も間隔を開け、プレー間隔も通常の倍を確保するなど万全を期している。

100点満点の天候で、標高も少し高い所から清々しい5月の風が吹いており、スコアは41、46、トータル87で目標達成、併せて優勝も頂き更にドラコン賞もゲット、得難い1日になった。

ゴルフ場のある島ヶ原(旧島ヶ原村)は、京都府滋賀県奈良県三重県の1府3県が接する境部に位置する。

付近を通過してみると山に囲まれた田舎の村と言う印象しかないが、歴史的に見ると重要な地理的位置にあり、古代から中世律令制旧東海道の、山城国(京都府)から伊賀、伊勢(三重県)に抜ける重要な関門であった。

江戸時代は東海道から分かれ奈良を経て生駒連山暗峠を通って今私の住んでいる河内(大阪府)へ抜ける脇往還奈良道の島ヶ原宿があったとされ、集落の由緒を感じる。

また近くを流れる木津川を通じ京都へ、更には淀川を経て大阪への水運もあり、今感じる田舎の風情とは違った歴史の風景がかつて確かに存在したことを想像させる。

例えば近在の伊賀や甲賀の忍びの者・地侍達がこれらの路を諸国大名に雇われ足早に往来したに違いないし、織田信長の軍が伊賀の国を襲った天正伊賀の乱では織田信長も駆けた路かもしれない。

どんな土地でも、いま見ている風景や営みなどとは違ったものが、その場所に確かにあったと想像出来ることは、その土地に行く目的がなんであれ、楽しみを倍加させ好奇心をかき立ててくれる。

プレーが終わった5月の午後、ゴルフ場の風景
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