花に背きて帰る

図書館から借りてきた作家加藤廣著「戦国武将の辞世」朝日新聞出版刊を読んでいるのだが歴史作家の著者が武将の辞世の歌や
節目に読んだ詩歌等を紹介している本である。

それぞれの言葉を通じ武将の想いを読み取る試みがされているがここに収録されている全27篇のうち一番心に刺さったのは以前の日記でも紹介した「大河ドラマ天地人」の主人公直江兼続の以下の短い漢詩である。

【春雁は 吾に似て 吾は雁に似たり 洛陽城裏 花に背きて帰る】
著者の解釈は別にして私自身の解釈は、
【(今は豊臣政権下で厚く遇されていますが)私は雁のように都に仮住まいの身です。春(時期)が来たら栄達など望まず、皆の待つ北の領地へ帰ります。】

上杉家執政・直江兼続天正19年(1592)に京で細川家に招かれた折に即興で詠んだ詩のようだが後に慶長3年(1598)この詩の通り、北の会津に帰り領地経営を行うと共に義を掲げて世に言う「直江状」を発して豊臣政権の簒奪を窺う徳川家康を弾劾、上杉討伐をきっかけに関ヶ原合戦へとつながる。

この漢詩から思い出した懐メロを一つ、
佐川満男さん(懐かしい!!)も歌っていた古い歌で「無情の夢」余りポピュラーではないがその中の歌詞の一節が「♪~~花に背いて男泣き♪」であった。この作詞者は直江兼続漢詩を知った上でこの言葉を上手く転用されたのではないかと推理している。