幕末、緒方洪庵が大阪で開いた適塾では文法を習う初級・第九等から始まり次第に上級になると程度がだんだん高くなり最も上級の第一等になる。これら全員を統括するのが塾頭であり適塾の開塾以来13名が名簿に残るが内、長州(山口県)出身者は以下の4名。
・久坂玄機 長門萩出身 弟は久坂玄瑞 長州藩初の種痘に尽力、藩主に海防策建白
・村田蔵六(大村益次郎)周防鋳銭司出身 医学修行後帰藩軍制改革、後明治陸軍創始者
・飯田柔平 周防下松出身 郷里にて医学蘭学教育 橋本左内と交友あり
・伊藤慎蔵 長門萩出身 越前大野藩洋学館館長 東京文部大助教
他に複数の塾頭出身者を出している都道府県はない。
また、全塾生636名の出身都道府県を見ると最も多いのがやはり長州山口県出身者で56名全体の8.8%に当たる。次が緒方洪庵の出身地岡山県の47名、肥前佐賀県35人と続く。
(別の面からすごいと思うのは全国47都道府県の内名簿に無いのは、青森県と沖縄県のみで北海道から鹿児島県まで殆どの出身者を網羅していることである。)
最初は冷静に塾生名簿を見ていたのだが結果的についつい郷里お国自慢になってしまう、 長州が明治維新の起爆剤になったのは単に外様で反徳川から来ているのでなく連綿とした教育、進取の精神風土がその基盤にあったことが大きな要因である事がこの名簿から見えてくる。