6月17日の続き川路聖謨など幕府のロシア使節応接掛が長崎でロシア提督・プチャーチンと折衝し一旦帰国させた。 その一年後嘉永7年(1854)10月、プチャーチンは函館、大阪を経由して伊豆下田に再来、条約締結を強く求めた。幕府は大目付・筒井肥前守…
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