芭蕉「旅に病で」

先日大阪・御堂筋にある南御堂に用事があり、境内庭園の芭蕉の句碑を紹介した。芭蕉は元禄7年(1694)生地・伊賀上野から奈良を経て大阪に着き体調を悪くする。

門人達の手で病床を当時南御堂前にあった出入りの花屋の静かな座敷へ移しそこで臨終を迎えた。その亡骸は生前芭蕉が愛した湖南の膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)境内に葬られた。

このような繋がりから南御堂では毎年芭蕉忌(旧暦10月12日)には句会が催されているらしく、以前受付の方に芭蕉のことを尋ねたところ筆者・山本 唯一「南御堂と芭蕉」という小冊子を渡されており、この度読み返してみた。

そのなかに句碑になっている

旅に病でゆめは枯野をかけまわる

について興味あることが書かれてあった。この句は芭蕉が亡くなる4日前の夜に詠まれたという。

南御堂の句碑

芭蕉には文学への執着、詩人としての表現への強い意欲という妄執(?)があった。「旅に病で」と詠んだ後、芭蕉は「なおかけ廻る夢心」「枯野を廻るゆめ心」としたいとも考えていた。そういうことに心をくだき、満足のいくまで推敲しようとするのが詩人であり、芭蕉は死の直前にそれを妄執と思い、「生前の俳諧を忘れる事のみ思う」と弟子に語ったという。

・「旅に病で」は芭蕉の辞世句とされるが「病中吟」であって辞世ではなく、芭蕉にはいわゆる辞世はなかった。それは平生句を詠むとき一句一句を辞世と考えていたことによる。

「きのふの発句はけふの辞世、今日の発句はあすの辞世、我、生涯言い捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし。~」

🔘芭蕉が何故に俳聖と呼ばれるのか、少しばかりその事がわかったような気がした冊子である。

🔘今日の一句

 

七十路のセーター緑眩しくて

 

🔘施設介護棟の屋上庭園、画像検索ではウインターコスモスと教えてくれた。