お土産の「調布(ちょうふ)」

一緒に大阪へ行く用事があり岡山県倉敷市に住む娘が訪ねて来たが、そのお土産のひとつに岡山銘菓「調布」というのがあった。

「調布」という名は東京都内の地名で馴染みがあったが、菓子の名前で「調布」とは初めてで興味が湧き、その由来を読むと以下のように書かれている。

京都御所近くで菓子屋を営んでいた倉敷生まれの職人が江戸時代末期に創作した菓子で、その姿が税として朝廷に納められていた「調布」に似ていることから公家のひとりから名付けられた。

蛤御門の戦いの後岡山に帰った職人・間野氏は菓子屋を開き「調布」は今日まで岡山銘菓として愛されている』

大宝元年(701)飛鳥時代末期に制定された大宝律令に始まる律令制度の税は、中学校の社会科にあるように「租・庸・調(そようちょう)」と呼ばれ、租は主として田んぼからの米、庸は都での労役、調は繊維製品や地方特産品である。

調の布すなわち「調布」は麻を基本として1反が成人男子1名分か2名分(時期によって異なる)となった。従って菓子の形はこの布の納入状態に見立てられているものと思われる。

「蛤御門の戦い」は禁門の変とも云われ元治元年(1864)わが郷里の長州藩が、前年に京都から政治的に追放された「八月十八日の政変」の挽回を図るべく京都に突入、御所に攻めかけて幕府側諸藩の軍に敗退、朝敵の汚名を受けることになった戦いであり長州藩は滅亡の淵に立たされた。

このとき京都は「どんどん焼け」などと語り継がれる大火に見舞われたが「調布」の菓子屋さんもこの被害を受けられたものと推測される。

余談ながら東京都の地名・調布もこの古代の税を納めていたことに由来するようである。

ところで銘菓「調布」は求肥(ぎゅうひ)を卵入りの皮で包んだもので甘過ぎず珈琲によく合い、美味しく頂きながら併せて勉強もさせて貰った。

🔘今日の一句

 

  芭蕉句を読経が包む冬御堂

大阪南御堂句碑

「旅に病でゆめは枯野をかけまはる   ばせを」

 

🔘施設介護棟屋上庭園、画像検索ではビデンスという名前らしい。