丑年に牛の想い出

この年齢になってくると、正月を新しく迎えることは、子供の頃のような嬉しい感情はあまりなく、むしろまた年の峠を越えてしまったという、寂寥感や満足感が混ざったような不思議な感覚の方が強いような気がしている。

日頃は無縁で過ごしている干支(えと)だが、さすがに自分の干支の丑年となると少し関心があり、牛のことに想いを巡らすことになってしまった。

今、牛といえば私も含め大方は、焼き肉やすき焼きなど食欲の方に関心が行くと思うが、私の子供の頃育った田舎では、牛肉が食卓に上がることなど滅多になく、農家だったこともあり住居の続きに牛小屋があり、最初の主は農作業用の役牛、後に乳牛に変わった。

牛は概ね大食で、購入する配合飼料だけでは間に合わず、あぜみち等で刈った草や、稲藁を小さく切ったものを混ぜて食べさせる。
また、田んぼに連れていって耕作等をさせるのだが、牛はとても大人しい動物で、子供の私が一人で手綱を引いても大人しく付いてくる。

馴れてくると、一人で耕作などの牛使いも何とか出来るようになってきた。
また乳牛の場合は乳搾りも経験した。これも牛が炎症を起こさないような上から下へゆっくりと搾る手順があった。

また乳牛の出産シーンに初めて立ち会った時は衝撃的で、今でも母牛の苦し気な表情が記憶にある。

当時、実家から厚狭駅に向かう道沿いには「牛市場」があり、定期的に競り市が開かれ、そこでは牛の売り買いをなりわいにする博労(ばくろう)と呼ばれる人たちが集まり、声をあげていたのも懐かしい風景である。

後年、仕事でタイに赴任中、郊外のゴルフ場に行き、近くの水田で、昔の故郷と同じ牛による耕作風景を見てつい見とれてしまった事がある。

これらの記憶やイメージが残っているので、BSTVの番組「ワイルドライフ」などで野牛がライオンなどに果敢に立ち向かうシーンなどを見ると俄然、頑張れと応援したくなる。

◎歩きの途中、空き地の塀の上で、雀の群れが寒い朝、陽射しを受けてひなたぼっこ。
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