NHKスペシャル古代史ミステリー②ヤマト王権 空白の世紀

NHKの番組・古代史ミステリーの第2集は「ヤマト王権 空白の世紀」と題するもので、ヤマト国の原点というべき3世紀邪馬台国卑弥呼の時代を経て4~5世紀のヤマト・日本を描こうとする試みである。

中国南北朝時代の5世紀、南朝・宋の歴史書宋書倭国伝」に宋と冊封(さくほう・宋の天子の命令書により倭の国王に封ずること)関係を結んだ5人の倭国王の名前が記録されている。

それぞれ讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)と名乗り、一般的に彼らが活躍したとされる5世紀の日本は「倭(わ・ヤマト)の五王の時代」と呼ばれる。

五人は「古事記」や「日本書紀」などの記述を踏まえ諸説あるなか、応神(おうじん)、仁徳(にんとく)、履中(りちゅう)、安康(あんこう)、雄略(ゆうりゃく)各天皇などに比定されている。

5世紀、倭の五王の時代は統一王朝としてヤマト王権が大きな権力を手にし、東アジアの動乱のなかで鉄原料などを求めて朝鮮半島にも進出し、半島の強国・高句麗(こうくり)などとしのぎを削るいわばヤマト王権が日本列島に確立した時期とも言える。

この裏付けのひとつとして説明されるのが近年朝鮮半島で相次いで発見された前方後円墳で、その副葬品と併せこの地に居た倭人を葬った証拠とされる。

また当時の高句麗の王・広開土王(こうかいどおう)の事績が書き遺されている「広開土王碑」にも倭国朝鮮半島への進出が記録されている。

この背景として番組で説明されるのが大陸や半島からの技術導入をベースにした倭国に於ける鉄加工に関する技術革新、騎馬や甲冑生産などの軍事技術革新などである。

3世紀の邪馬台国時代、5世紀の倭の五王の時代の間の4世紀を「空白の世紀」と呼ぶ見方もあるが、一連の推移を見るとこの時期はヤマト王権が日本列島内部に広く浸透し統一王朝に成長する過渡期であり、そのヤマト王権のシンボルとして王権の伸長に併せ列島に広く行き渡るのが前方後円墳と考えられている。

これらの内容を踏まえ、ふるさと厚狭で発掘された長光寺山古墳、妙徳寺山古墳を今一度次回から考えてみたい。

🔘今日の一句

 

あと幾度巡り逢えるや花の時季(とき)

 

🔘健康公園のビオトープ(生物生息空間)エリアのツクシ(土筆)、見たのは何年ぶりだろうか、懐かしい。

🔘今朝は雨風の後で花びらのじゅうたんを歩いて来た。