じゃがたらお春

戦前に由利あけみさんという歌手が唄われた「長崎物語」という懐かしい、綺麗なメロディーの歌があり、YouTubeを開けると、美空ひばり、春日八郎、青江三奈藤圭子など多彩な人がカバーされている。

♪︎♪︎赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の あゝ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る♪︎♪︎
☆1番から4番まで歌の最後のフレーズの前に「ララ」をつけて必ず繰り返しているのが心地よい。

これは徳川幕府鎖国政策で、当時はバタヴィアと呼ばれた現在のインドネシアジャカルタに追放された混血児・お春が故郷の人々に宛て、「日本恋しや」とつのる想いを綴ったいわゆる「じゃがたら文(ふみ)」の悲しいストーリーを吟ったもので私の好きな歌のひとつです。

大阪・北浜に遺こる「適塾」は幕末に緒方洪庵が開いた蘭学塾で福沢諭吉大村益次郎等々多くの人材を輩出した。
この適塾を維持するための「適塾記念会」に私も入れてもらっており、定期的に機関誌「適塾」が送られてくる。

先日頂いた最新号No54を読んでいるなかで、大阪大学適塾記念センターの菅原由美氏の適塾講座「十七世紀バタヴィアにおけるオランダ人と欧亜混血児」のなかにこの「じゃがたらお春」のことが書かれてあるのを見つけた。

その前後は省略して「お春」のことに絞った要点は
・彼女は1625年頃ポルトガル商船のイタリア人航海士と日本人貿易商の娘の間に生まれ、平戸、長崎に住んでいたが1939年母 姉と共にバタヴィアに追放された。

・21歳の時、オランダ東インド会社の職員でオランダ人と日本人との混血男性と結婚した。夫は東インド会社で要職を歴任した後貿易業を営んだ。

・お春は7~8人の子を成し72歳で死去、ジャカルタの公文書から彼女は高級住宅街に住み奴隷を9人も使う裕福で幸福な生活を送った。

じゃがたら文は別人の創作である。

◎身も蓋もないような結論であり、歌の文句の「濡れて泣いてるじゃがたらお春」が困ってしまうが、混血の少女が幸せな後半生をおくったと思えるのが救いである。

◎歩きの途中、路傍に咲く赤い菊
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