NHKスペシャル古代史ミステリー①邪馬台国(やまたいこく)の謎に迫る

NHKスペシャルに「日本の起源に迫る」とのキャッチフレーズで新しいシリーズ・古代史ミステリーが誕生し、第一集は「邪馬台国の謎に迫る」と題して新たな知見などを踏まえ女王・卑弥呼(ひみこ)の姿を探ろうとする番組である。

今まで日本の中世以降が興味の対象であったが、ふるさと厚狭の二基の前方後円墳に触れて、これを理解するためには少しは古代史についても学ばねばと思い始めた矢先、邪馬台国は大和(ヤマト)であるという文藝春秋の記事に出逢い3月10日のこのブログに書いたばかりである。

折角の機会なので厚狭の前方後円墳に少しでも接近すべく、番組と並行して水野正好著「島国の原像」吉川弘文館刊、吉村武彦編「新版古代史の基礎知識」角川書店刊を読みながら学んでいきたい。

邪馬台国はどこにあったのかについて、九州説も取りあげているものの、番組では纒向(まきむく)遺跡の木材や箸墓(はしはか)古墳の最新年代分析から卑弥呼が生きかつ死亡した3世紀の年代と重なることに着目し、大和(ヤマト)説に大きく傾いているように見受けられる。

魏志倭人伝」に書かれた内容やこれまでの最新研究から、番組の卑弥呼に関する特徴的な理解は以下の通りである。

・当初、卑弥呼は小国の連合体のなかで鬼道(きどう・道教)の力でまつり挙げられた女王であった。

卑弥呼が率いる邪馬台国は日本の西部を地盤にしたが、これに敵対する狗奴国(くなこく)は東国を地盤にしてその戦乱が長く続いた。

・小国をまとめこれを打開すべく卑弥呼は、三国志の時代、魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国が争う中国の内、最大勢力・魏に使者を送り、呉を牽制する意図を伝え魏の協力と「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を得た。

邪馬台国のシンボルは前方後円墳、狗奴国のシンボルは前方後方墳だが、地形をAIで解析すると卑弥呼の時代3世紀以降東国でも前方後円墳が増加していることがわかり、これ以後日本は統一に向かう。

・この要因になったのが邪馬台国が魏と結んだことや渡来人の受け入れで得られた技術革新(土木治水技術や鉄の入手など)である。

前方後円墳である箸墓古墳卑弥呼の墓という前提に立つと、前方後円墳というのはヤマト王権の祭祀と政治のシンボルであり、必然的に卑弥呼ヤマト王権の最初の王ということになる。(この解説と3月10日ブログの内容が結び付いたことになる)

🔘我が事ながら、厚狭の前方後円墳(長光寺山古墳、妙徳寺山古墳)に少しずつ近付いているような気がしている。

🔘今日の一句

 

五分咲きに情け掛けるや花の雨

 

🔘健康公園、ホトケノザ(仏の座)

 

 

 

 

4月句会

昨日は定例の4月句会で、お二人が都合で欠席、13人の参加であった。

私はブログに載せたり手元に控えていた中から次の5句を出した。(今月の兼題:四月馬鹿)

①春の海雲映しとり墨絵描く

・ベランダから海を見ていて、海の色が上空の雲の濃淡をそのまま映し出していることに気付いて詠んだ。

海の色は時々刻々と千変万化するのを実感している。

 

②青き瀬戸白き水脈(みお)曳く暮れの春

・これも海を眺めていて、船の種類により非常に長く航跡を曳いて通る船がある(船によっては殆んど航跡を曳かないものもある)ことに気付いて詠んだ。

特に潮の流れと船の進行方向も関係しているような気もする。

 

③故郷の墓前にひとり東風(こち)わたる

・先日帰省した折りの心情である。

 

④鍬入れて匂い仄(ほの)かに土の春

・園芸サークルに入れてもらい、数年振りに鍬を握って土に入れたときの懐かしい感触や想いを詠んだ。

鍬使いは自分の身に付いている気がする。

 

⑤あの頃に帰りたしとて四月馬鹿

兼題を受けてふと浮かんだ句です。

 

結果は

①が3人に並選、

②が2人が特選に、1人が並選に、

③が1人に並選、

④が2人が特選に、1人が並選に、

⑤が1人に並選、

と、5句全てに選に入れて頂いた。特に②と④の句に2人づつ特選に入れて頂いたことは今までにない好成績で素直に嬉しい結果である。

特に②と④は推敲に時間を費やし、自分の中でも満足な出来と思っていただけに、自他の評価が一致して殊更嬉しい結果である。

私が特選に挙げた句は

 

一画の気がかりに辞書田螺(たにし)鳴く

 

俳句を短冊などに書き込む際、パソコンでは無理で筆記するしかないが、この場合字の一画が果たしてこれで良いのか迷いスマホやパソコンで確かめることが多く共感した。

🔘施設の庭、チューリップ、チューリップ

 

 

 

「敦煌(とんこう)」

NHKBSで放送された昭和63年(1988)の日本映画「敦煌」を長い間録画したままにしていたがようやく観終えることが出来た。

若い日の佐藤浩市さん、西田敏行さんなどが出演していて、中国映画界の協力を得て現地ロケをしている当時としては破格のスペクタクルシーンもみられる映画である。

敦煌は中国の西域、甘粛省(かんしゅくしょう)にある都市でシルクロードの中継拠点として栄えた歴史を持つ。その近郊にある石窟群は多くの石仏や壁画が遺されて世界遺産に登録されている。

中でも莫高窟(ばっこうくつ)は壁に封じられた中から数万点に及ぶ大量の莫高文献と呼ばれる歴史文書や経典が出てきたことで有名である。

この映画の原作は作家・井上靖の同名小説「敦煌」であり、私は確か中学生時代に読んだ気がするが、映画に併せ垂水図書館から借りだし2回目の読書にチャレンジしてみた。

映画は小さなエピソードは別にして大筋で原作にしたがってストーリー作りがされていて、色々な説がある莫高文献が壁に封じ込まれた由来を、概略以下のような事として扱っている。

敦煌の大守や寺の僧侶が長期間にわたって収集した文書や経典である。

・11世紀中国は北宋の時代、チベット系タングート族が勃興し中国北西部に西夏(せいか)を建国、敦煌(沙州)も支配下に置いてゆく。

西夏による貴重な文献の散逸や焼却を恐れた人々が莫高窟の壁に隠した。

歴史学上はその由来には諸説あるらしいが、西域に深い興味があった井上靖らしいロマン溢れるストーリー作りが成され、西域への興味がかき立てられる。

映画では、北宋科挙(かきょ・官吏登用試験)に失敗し、運命に導かれ西域で傭兵になり文献の保存に活躍する主役を佐藤浩市西夏軍の漢人傭兵隊長西田敏行西夏を建国する李元昊(りげんこう・実在の西夏初代皇帝で西夏文字を作った)に渡瀬恒彦西夏に滅ぼされるウイグル族の王女を中川安柰などが演じている。

図書館で手に取った「敦煌」は昭和44年(1969)刊行の新潮日本文学集の内の井上靖 集に載せられていて、誠に古さを感じさせ、ついつい中学校の図書室でこういう古びた本を読んでいた懐かしい想い出が浮かんで来てしまった。

特に最終の十一章は小説というより、莫高窟の文献が壁に隠されて後発見されるまでの史伝のようになっている。

この井上靖 集には「敦煌」と同じく西域を扱った小説「楼蘭(ろうらん)」も収録され井上靖の西域への想いを感じる事が出来る。

🔘今日の一句

 

鍬入れて匂い仄かに春の土

 

🔘施設の中庭(日本庭園)のジンチョウゲ(沈丁花)

 

毛利氏と九州・大友氏の争い/秀吉の島津攻め

3月27日のこのブログに「秀吉の武威、信長の武威」を読み終えたことを書いたが、この本の中に私が長い間追いかけている中国の雄・毛利氏の九州豊後国(ぶんごのくに・大分県)を地盤とする戦国大名・大友氏との抗争が出てくる。

両者の対立は周防国(すおうのくに・山口県)地盤の戦国大名大内氏の滅亡に遡る因縁がある。

天文20年(1551)大内氏家臣筆頭の陶隆房(晴賢)は主君大内義隆を自刃させ、次の当主に大友氏から養子を迎え大内義長とした。

毛利元就は天文23年(1554)大内氏陶氏と袂(たもと)を別ち、弘治元年(1555)厳島の戦い陶晴賢を敗死させ、その勢いのまま周防国(すおうのくに・山口県東部)長門国(ながとのくに・山口県西部)に侵攻し大内義長は長府・功山寺で自刃、これ以後防長二州(山口県)は毛利氏の支配下となる。

以後毛利氏は大友氏の地盤である北九州を巡って長期にわたり抗争を繰り広げる。

とここまでは以前から良く理解していたが、戦国末期秀吉の天下統一が見え始めた時期、毛利氏三代目・輝元の時代までこの抗争が続いていることが史料をもとに記述される。

この時期九州の残る大勢力は島津氏と大友氏のみとなり、西九州の龍造寺氏を屈服させた島津氏は大友氏に圧力を加え大友氏の劣勢が明らかになりつつあった。

毛利輝元豊臣秀吉への臣従を緩やかに進める事と併せ、島津氏と連携し大友氏を攻撃し北部九州を支配下に置くべく画策していた。

大友氏は九州で最も早くから秀吉に接近しており、大友氏の窮状の訴えを了とした秀吉は、毛利ー大友、大友ー島津間の和睦調停を指示、これを含めた九州停戦令が発布される。

その後大友、毛利、島津の諸氏の分割統治を基本にした九州の新たな国分け(勢力エリアの線引き)案が提示され、それは著しく島津氏に不利なものであった。

この為島津氏はこれまで同盟関係に有った毛利輝元に期待して大友氏側への軍事行動を止めなかった。

ところが輝元は秀吉に対する従属を強めて変節し、毛利-大友間の和睦を優先、秀吉の要求に従わない島津氏を攻めるいわゆる「島津攻め」に豊臣軍の部隊として九州へ出動することになる。

結末はよく知られているように島津氏の降伏、本領・薩摩国大隅国(鹿児島県)と日向国(ひゅうがのくに宮崎県)の一部が島津に残されて幕を下ろす。

(このとき九州・筑前国(ちくぜんのくに・福岡県)は毛利氏の一族・小早川隆景が領有することになる)

大変長くなってしまったが、今回今まで知らなかった毛利輝元時代の九州に対する一連の動きが図らずも見えてきて、幕末の薩長連合と似た毛利島津連合が画策されていたことがわかり、今後の基礎知識として役立ちそうな気がしている。

🔘今日の一句

 

薬売り子等へ置きゆく風車

 

🔘近くの施設のフェンスに咲いている初めて見る植物、画像検索ではハーデンベルギアというオーストラリア原産の種らしい。

映画「戦場にかける橋」

NHKBSで放送された米映画「戦場にかける橋」を録画して観終わった。

1957年製作されてアカデミー作品賞をとった映画で、私は大阪の劇場で観て今回が多分2回目となるが全く古さを感じさせず、以前観たときに比べより背景や人間描写が理解出来た気がしている。

監督は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」のデビット・リーンで、さすがに橋を列車もろとも実際に爆破するシーンなど、そのリアリティーは今から60年以上前の映画とは思えないほど迫力がある。

第二次大戦で、日本軍は開戦直後アジアに於ける英国の拠点であったシンガポールを攻略、更に英国が支配するインドを見据えて、タイを経由してビルマ(ミャンマー)を目指すためタイ・バンコクからビルマ・ラングーンに至る泰緬鉄道(たいめんてつどう)を連合軍の捕虜や現地人等も動員することで計画、その途中の川に敷設する橋の建設が映画の舞台である。

この橋を建設する責任者で日本軍捕虜収容所長大佐役が早川雪洲(はやかわせっしゅう・国際俳優のはしり)、自らの信念で建設に協力する英軍捕虜団長大佐をアレック・ギネス、収容所を脱走した後土地勘を買われ橋の爆破に活躍するのがウィリアム・ホールデン、特殊部隊爆破班の隊長役でジャック・ホーキンスなど多彩な俳優が出てくる。

ネタバレ防止からストーリーにはこれ以上触れない事にして、なぜ一回目に観たときより二回目の今回がより深く刺さったかを考えると、この間私がタイに駐在してその体験が今に活きていることがある。

①原題が「The Bridge on The River Kwai」である通り、クワイ川に掛かる木の橋は映画では爆破されるが、実際には現在も遺り観光資源のひとつになっていて、私がタイに駐在中バンコクから川沿いの崖っぷちを通る汽車に乗って見に行ったことがある。

カンチャナブリー県にある実際の橋は橋脚がコンクリートで橋自体は鉄製であり、近くに使役された連合軍捕虜多数の墓地があった。

②映画では英軍特殊部隊の爆破班にタイ人男女が道案内と荷物運搬役として同行し、その交流も描かれタイ語の会話が成されるが、その言葉がが20年以上経った今も理解できることに我ながら感動してしまった。

爆破班隊長「ノーン ティニー ダイマイ(寝るのはここで構わないか?)」

タイ村人「マイディー  アンタライマーク  ミージープン(よくない、日本人がいて大変危険だ)」

🔘当時英軍はインドを拠点にビルマを経て、日中戦争を戦う中国国民党に支援物資を送っていたが、日本軍はこれを遮断して英軍に圧力を加えるため、多大な犠牲者を出した悪名高いインパール作戦を行った。

泰緬鉄道はこの作戦に重要な役割を果たすことになるが、捕虜の虐待、現地人強制労働などで多大な犠牲者を出すと共に敗戦時日本側でも戦犯として罪に問われた人が出た。

🔘今日の一句

 

夜来雨花芽こじ開け辛夷咲く

 

🔘草むらで昨日見つけた小さなハコベ

島崎藤村千曲川旅情の歌を思い出す

小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

番外編・春本番の知らせ

近くの健康公園にはソメイヨシノが100本以上あると思われるが、そのうちの一本が先行して開花した。この木は去年も一番最初に花開いていた。

園芸サークルの畑で3月3日に植えられたジャガイモが芽を出し始めた。

園芸サークルの花壇のチューリップも花開き始めた。

健康公園の椿