野面積(のづらづみ)と穴太衆(あのうしゅう)

月刊誌・文藝春秋新年号に「熊本城の石垣はなぜ崩れたか」と題し副題「伝統の職人 穴太衆」「戦国時代から続く秘伝のワザが危機に瀕している」という記事が載っている。

書いているのは粟田建設という社員三人の滋賀県大津市の会社の代表者・粟田純徳(あわたすみのり)という方である。

粟田建設は穴太衆と呼ばれた近江国(おおみのくに・滋賀県)坂本の穴太という土地に根付いた石積み・「穴太積」の技術を受け継ぐ集団の最後に残る1軒ということである。

野面積遺す古刹や萩の花

これは私が2024年9月27日のこのブログに出した句で、山口県周南市鹿野を同級生の案内で訪れた風景を詠んだもので、野面積とは採掘した自然石を加工せずそのままの形で積んでいく技術である。

穴太積は、この野面積を近江国にある比叡山延暦寺や神社仏閣などの造営を通じて技術を磨いて成立したもので、織田信長安土城築城に当たり穴太衆に石垣作りを命じたことで全国に知られ、以後各地の城作りに大いに携わったと伝わる。

私もこの記事で初めて知ったのだが、天下泰平の江戸時代になると転機が訪れ、最盛期300人いた穴太衆が、現在の粟田家1軒に至る衰退の道をたどることになる。

存続の危機に直面している当事者が書かれている内容の要点は、

・熊本城の地震で崩壊した石垣の大半は、明治期に陸軍が修復した箇所で、400年前に加藤清正が築城した際の穴太積はほとんど壊れていない。

・穴太積の強度は優れていて、2005年新名神高速道路の護岸壁受注の際、京大大学院の協力で実施した加圧実験では、200トンで割れたコンクリートブロックに対し250トンまで耐えた。

・石垣は水圧などの内側からの力に弱いが、穴太積は水はけにも優れ、栗石(ぐりいし・拳大の石)を丁寧に綺麗に積む層を設けることで水はけを良くし強度を高めている。裏の仕事によって石垣の寿命は百年単位で変わる。

・石垣作りの最初の仕事は石選びで、石の集積場に行きひとつ一つの石を記憶、石の声を聴きながら頭の中で石垣全体の設計図を入念に描いて石積に着手する。

・今まで石垣の修復は穴太積の実績が認められたことで指名競争入札が多かったが、最近は一般競争入札が増え、基本的に目先安い金額を提示した企業が落札するようになっている。穴太積は数百年単位でみたら安上がりになるはず。

・粟田建設が廃業すると穴太積の技術は途絶える。この為生き残りを掛けて試行錯誤を続けているが、そのひとつが全国各地で開く技術講習会で企業秘密を教えている。これで、粟田建設が地方で仕事を請け負う際には現地の職人さんに手伝いを頼めるし、万一経営が立ち行かなくなった場合でも穴太積の技術が生きながらえることができる。

🔘歴史的に高名な穴太積が危機に瀕しているというのは正直驚いた。

私は「歴史」と「ものを作る技術」の両方に興味がある方なのだが、今回の記事はその両方で新しい知見を得ることが出来た気がしている。

日本の国力が低下傾向にある中で、このような伝統的な技術が危機に直面することは今後更に増えていく可能性がある。

🔘今日の二句

 

渡すより太き手受けるお年玉

 

パソコンを孫に教わる二日かな

 

🔘旗振山へ山行の途中で出会ったサルビア