「魔都上海十万の日本人」

NHK 取材班編「魔都上海十万の日本人」角川文庫刊を読み終えた。同じ施設の知人の方からの頂きものである。

中国・上海を初めて魔都(まと)と名付けたのは大衆文学などを得意とする日本の作家・村松梢風(むらまつしょうふう)のようで、戦前上海を何度も訪れ租界(そかい)等の持つ特殊性から西洋と東洋が混在している様子や、犯罪の横行などを見て感じて表現したようで、現代でもその国際性や混沌としたところから一部ではこの魔都という表現が生きている。

上海は長江(揚子江)河口の南側・長江デルタに位置する中国で一、ニ、を争う大港湾都市だが、都市の主要部分が面しているのは長江ではなくその支流・黄浦江(こうほこう)である。

この地域が注目されるきっかけは1842年のアヘン戦争の結果、南京条約でイギリスが上海を開港させたことに始まり、英、仏、日、米などの治外法権エリア・租界が次々と出来たことに始まる。

租界は黄浦江の西側に拡がり現代まで残る西洋風建築が他の地域と一線を画していた。私は現役時代3年間上海に住んだが現在外灘(ワイタン)と呼ばれている旧租界エリアを見て、これは別の国のようだなと感じたことがあり、この辺りに魔都と呼ばれる要因のひとつがあると実感した。

余談になるが、幕末の文久2年(1862)長州藩士・高杉晋作は藩命による視察で上海に渡航アヘン戦争後欧米列強の支配を受ける中国の実態を見て危機感を抱き、その後攘夷運動に身を投じることになる。

この本は昭和61年(1986)放送の特別番組「ドキュメント昭和 第2集 上海共同租界」をもとに編集刊行されたもので最盛期10万人の日本人が居たとする租界の歴史を、近代中国の苦難の歴史と重ねて描かれている。

したがって列強の動向と併せ軸になるのは日中の友好と衝突の歴史であり、この本では日本と中国がはじめて真正面から武力衝突した昭和7年(1932)上海事変迄の内容が描かれる。

最終項では「昭和の歴史は、日本と中国の長く不幸な、そして不毛な戦いのときへと向けて、確実にページが一枚繰られたのであった」と結ばれている。

またまた余談になるが私の懐メロカラオケ持ち歌のひとつが、津村謙さんが唄い戦後直ぐの時代にヒットした「上海帰りのリル」で、上海租界で知り合ったリルと名乗った女性を、戦後の横浜で探す筋立てで香川京子さんなどの主演で映画化もされた。

 

🔘今日の一句

 

瓶底に紅い日焼けの青い梅

 

🔘施設の畑に入居者が植えられた初めて見るクロタネソウ(黒種草)、別名ニゲラというらしいがこれは黒いという意味のラテン語「Niger 」から来ているようで種は真っ黒なのだろう、どんな種か興味がある。

楕円球形の実、この中に種があるようだ