倍賞千恵子さん・私の履歴書

日経新聞文化欄に著名人が交代で各々1ヶ月にわたって連載する「私の履歴書」と題するコラムがあり、通例自分の半生、来し方などがかなり突っ込んで書かれている。

12月に入り突然、倍賞千恵子さんの写真と共に連載が始まったのを見て少々嬉しくなって熱心な読者になり楽しみに読んでいる。

紙面掲載の近況写真

倍賞さんは多分私より先輩の筈で、私の若い頃から現在までずっとスクリーンや歌で比較的身近に感じてきた芸能人の一人で、私はファンのひとりかもしれない。

私の履歴書」の最初の回でのっけから今年5月大腿骨骨折の話が出てビックリしたが、それはさておきその回で、「私は歌と映画と二兎を追いかけてきた」とあり二兎を追ってきたことを自信を持って振り返っている様子が伺えこちらも嬉しくなってしまう。

歌は叙情歌等も幅広く歌われているが、何と云っても記憶に残るのは「下町の太陽」で、映画と併せこれ以降倍賞さんと下町のイメージが出来上がったような気がする。「下町の太陽」は私のカラオケ持ち歌のひとつです。

映画はやはり「下町の太陽」に始まる山田洋次監督との繋がりは特筆される。いうまでもなく「男はつらいよ」の「さくら」役はライフワークともいうべきもので、まだ独身の時代から息子が成年になるまで、直近の「お帰り寅さん」迄の長い時間をスクリーンで観させて貰った。

私が印象により強く残っているのは同監督の「家族」「故郷」の民子役で、昭和同時代の変わってゆく日本を体験、見てきた者として戦友のような気持ちになり本当に胸が打たれた。この辺りの演技はただ可愛らしいというだけでない地についた本物の俳優を感じさせて貰った。

第2回の記事に珍しい「倍賞」という姓の説明があり倍賞千恵子は本名であるらしい。

先祖が秋田佐竹氏に仕えた足軽で特別な武功をあげた際、2倍の恩賞を受けたことから「倍賞」姓を名乗ることになったとある。

余談ながら佐竹氏は元々常陸国(ひたちのくに・茨城県)を本拠地にする源氏の名門で、当時石田三成との関係が深く、関ヶ原合戦時の動向を咎められ秋田に減封された経過があり「武功で」という謂れから読み解くと、倍賞家も元は常陸にあるのかも知れない。

昨日までで第6回が終わり、みすず児童合唱団、松竹音楽舞踊学校、松竹歌劇団(SKD).を経て松竹大船撮影所に入所しようやく女優の道を歩き始め、私生活では初恋が終わったところまで来た。

松竹音楽舞踊学校を首席で卒業、松竹歌劇団の初代「バトンガール」を演じる栄誉が与えられた。これを以下のように語られている。

「普段、私は自分を褒めることなんてない。でも初代バトンガールを務めたことだけは堂々と胸を張りたい。どんなに苦しくても辛くても、精いっぱい頑張ってきた証しだから・・・・。」

 

今月一杯は続く予定で、同じ文化欄に掲載の連載小説「陥穽  陸奥宗光の青春」と併せ毎日の楽しみが増えた気がしている。

🔘今日の一句

 

悴める手をかざしたき木洩れ日に

 

🔘健康公園のモチノキ(黐の木)