「厚狭毛利家代官所日記」の終わりと「山陽町史」

このブログを始めたきっかけは身辺雑記と共に故郷・山口県厚狭の歴史を書いておこうと思ったことにある。

途中、江戸時代厚狭一円を領していた、萩毛利本家の一門である厚狭毛利家の民政記録である「厚狭毛利家代官所日記」を入手し、これは厚狭の歴史を知るために役に立つと思い少しずつ読んでこのブログにも載せてきた。

なにぶん専門的素養が不足しており言葉ひとつに2~3日かかるような悪戦苦闘しながら読み進め、ようやく入手出来ている慶応3年(1867)まで来てしまった。

お蔭で故郷を形成するバックグラウンドがかなり理解出来たような気がするが、当面以降の分の入手が困難である。

日常の雑記は今まで通りとして厚狭の歴史は既に色々書いてきており、さあこれからどうするか立ち止まってしばらく考えていたが、「山陽町史」を読み直して興味のありそうな点についてこのブログに少しずつ書いて行くことにした。

厚狭は村の時代を経て厚狭町から町村合併により昭和31年(1956)9月30日山陽町となり、平成17年(2005)3月22日隣接の小野田市と合併し山陽小野田市となり現在に至っている。

「山陽町史」はその山陽町時代、昭和59年に当時の郷土史研究会が中心になり通史として編さん刊行されたもので、今見てもとても史料価値が高いように思われる。

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先人の努力に感謝しつつ第三編古代・中世の章から少しずつ読み直そうと思う。幸い代官所日記の場合と違い全て現代文で書かれておりスムースな進行であることを願っている。

 

【葉を取れば餡が覗いた柏餅】

 

🔘施設の庭、ベニバナツメクサ