朝ドラ「らんまん」と郷校(きょうこう)

植物学者・牧野富太郎博士をモデルにしたNHKの朝ドラ「らんまん」が始まっている。現在主人公の万太郎の少年時代が進行中で、生家一帯の領主が設けた郷校に平民の子弟ながら通うことになり大きな刺激を受ける。

牧野富太郎が生まれた土佐(高知県)佐川の給領主は土佐藩山内家の筆頭家老一万石の深尾家で郷校の名を「名教館(めいこうかん)」と称した。

(朝ドラではこの郷校の名前を史実通り正確に使用している)

郷校とは藩の大身家臣、給領主等が設営することが多く準藩校としての役割もあり、江戸時代後期になると庶民も受け入れることもままあり万太郎のケースもこれに当たる。

(郷校として分類されるものの中には藩が設立した庶民の学問所や民間有志が設立したものもある)

江戸時代は藩校ー郷校ー寺子屋として教育システムが構成され藩校で学んだものが郷校で教え、郷校で学んだものが寺子屋の師匠になるようなことがあった。

日本の明治時代の躍進は江戸時代の教育の賜物という説は、このシステムが全国に張り巡らされたことで全体の教育が整ったことに依っている。

以前このブログでも触れたことがあるが、私が追跡している郷里の厚狭毛利家でも藩校・明倫館に連なる郷校「朝陽館」を居館の側に設置運営していた。

年令と学力に応ずる「等級制」がとられ最盛期の生徒数は通学生が4、50名寄宿生が70名程度併せて百数十名に達したと言われ、この管理と運営は厚狭毛利家の学校奉行・目付が行い学館には学頭・監事などが置かれた。

記録によると少なくとも幕末にあっては平民の子弟にも入学を許可したと伝わる。

 

【春筍(しゅんじゅん)を噛む音(ね)が招く                                                                                  記憶かな】

 

🔘この季節、緑が中心の中で健康公園に赤く染まっている一角があり画像検索ではカナメモチという名前の木らしい。季節外れの鮮やかさに見える。