最後の講義・ノンフィクション作家 保阪正康

NHKBS1に「最後の講義・The Last Lecture」という番組があり「今日が人生最後の日なら何を伝えたいか?」をコンセプトにして各界の第一人者が核心となるメッセージを講義の形で発する番組である。

漫画家の西原理恵子さんの回も「毎日かあさん」のように面白かったが、今回録画して聴き入ったのは昭和史に詳しいノンフィクション作家・保阪正康さん83歳である。

保阪さんは歴史家ではなくジャーナリストの立場で近現代史を中心にして徹底して調べ、戦争の時代の日本を問い続けてきた。講義の中でも出てきたがその時代を生きた4千人の証言を丹念に聞き取りそれをもとに「戦争」「日本」「人間」などを考察する。

先の大戦については私自身も「なぜ」と思うことが多くその回答を色々なもので探って来たが、その中でも保阪さんは以前から注目してきたひとりであり、それだけに今回の49分間は一言半句も聞き逃さないよう集中して講義を受けた。

特に感銘を受けた箇所は以下の通り。

・史料が乏しい中多数の証言を集めて実証的にその歴史を探るのがジャーナリズムの仕事であり、学問でない方法で先の大戦のなぜを追及しようと心がけた。

東條英機の夫人の証言のなかで今でも印象に残っているのは「開戦が決まった日、東條は寝室で皇居の方を向いて子供のように泣いていた」というものだ。

泣くというのは日本の指導者の最後の手である、泣いてその感情で事態と向き合う。政治は理性や合理的精神で分別して行われるべきものなのに涙で誤魔化されていくという弱さがある。戦争についても感情でしか物事を見ない。

・証言には1:1:8の法則がある。1割の人は自分の証言を整理して正直に話せる、これは知識人とかそういうものには一切関係なく人間の性格による。

次の1割は始めから嘘を言う、こういう人の証言を史実にしないように審判者にならないといけない。

残り8割は私達です。私達は記憶を美化します。人の記憶は自分の都合の良いように変わるんです。善意で改竄してしまう。

証言を聞くということは人を見抜く眼を持つことが必要になる。

・日本の指導者は主観的願望を客観的事実にすり替えて戦争に踏み込んだ。現在の政治にも同様なことが見てとれまた私達の中にも主観的願望を客観的なものにすり替えるようなことをしていないだろうか。

・保阪さんが講義の最後に書かれた言葉「前事不忘   後事之師」ーーー過去の事を忘れること無く後の教えとせよ

 

【変わり行く故郷の空鳥帰る】

 

【カラオケは季節の調べ「早春賦」】

 

🔘施設の庭のヒヤシンス