英雄たちの選択「森鷗外37歳の転機~小倉'左遷'の真実」

NHKBSプレミアムで放送された英雄たちの選択「森鷗外37歳の転機~小倉'左遷'の真実」を録画して観終えた。

夏目漱石と並ぶ明治の文豪・森鷗外は昨年没後100年を迎えたことから色々な企画が実行されておりこの番組もその一環と言えるかもしれない。

若くして陸軍軍医に任官、ドイツ留学を経て軍医の頂点である陸軍軍医総監・医務局長に昇り作家としても大成した鴎外だが、唯一の挫折とも云える37歳からの小倉第十二師団軍医部長への転勤を取り挙げ、その異動(左遷)が鷗外にもたらしたものを見つめ直す番組である。

人事異動は私も含めて組織で働く(働いた)誰もが身につまされる話と言える。

エリート軍人で作家活動も東京で行っていた鷗外の中央から外れた小倉勤務3年間は多くの人が注目するところで、例えば作家・松本清張は『或る「小倉日記」伝』で鴎外の小倉時代の日記追跡に生涯を捧げた人物を描き芥川賞を受賞した。

番組では作家・平野啓一郎、日本文学研究者・ロバートキャンベル、歴史家・磯田道史各氏がこの小倉時代を読み解いているが、三人共にこの転勤を受け入れることを是として、この小倉時代こそが後の作家として大成し、軍医総監として昇り詰める基礎作りの場になったと評価している。

・単身で小倉に赴任するなかで「素」で生きてバイタリティー溢れる庶民と日常的に接することにより、今までに無い感動とそこからくる栄達とは無縁の自由な心を得た。

・また生涯の友となる僧侶とも出会い仏教の知識(唯識)も得て、全ての事は心の持ちよう次第であることを理解した。

・また鷗外は小倉時代にドイツ語文献の翻訳活動を行っているが、翻訳は律儀に作業的にする必要がありこれが心の鍛練になり平衡心を回復した。

小倉時代にこのような実りを得て東京に戻り、軍医トップに昇り詰めると共に「高瀬舟」などの150以上といわれる旺盛な作家活動を行った。

よく知られているように鷗外は60歳の死に臨んだ遺言で「あらゆる肩書き称号を排し石見(島根県)人森林太郎として死せんと欲す」と書いた。これを受け郷里・津和野の墓にはただ「森林太郎墓」とだけ刻まれている。

🔘それにしても理と文の両方の分野で道を極める事が出来ていることに今更ながら驚くばかりである。

 

粕汁に鮭と人参色競う】

 

🔘介護棟の庭シリーズ、モクビャッコウ(木白香)と思われる。