歴史探偵「戦国大名・島津、強さのルーツに迫る 」

NHKTVに「歴史探偵」という番組があり探偵社の所長役が俳優の佐藤二朗さんで、色々な歴史のテーマに対し独自の調査を行い、その要因や源流を解明する番組スタイルになっている。

佐藤二朗所長と探偵役のNHKアナウンサーとのやり取りも面白くてテーマを選んで録画して観ている。

今回は薩摩の戦国大名・島津氏が対象でその強さの秘密を解明するという触れ込みである。

幕末から明治維新にかけて薩長と呼ばれた薩摩の島津と私のふるさと長州の毛利は維新回天の双璧であり両者共に関ヶ原の負け組であった。

何れも関ヶ原では西軍・石田三成側に就いたが戦場では両者共に殆んど戦わずして終わり、戦後処理では勝者の徳川家康から大きく違う扱いを受けた。

毛利は中国地方120万石から防長二州36万石に減封され大きな苦しみに直面したが、一方の島津は薩摩、大隅、日向の一部併せて73万石は安泰であった。

敵対した島津を罰することが出来ず本領安堵されたのは家康がその強さを怖れたからであるとの前提で、その強さは何によってもたらされているかが主題である。

★最大の要因は鉄砲による火力に有り、鉄砲を自力で生産(薩摩筒・さつまつつ)運用出来る条件が揃っていた。

・鉄~種子島では砂鉄が採れる

・火薬の原料硫黄~鹿児島沖硫黄島で純度が高いものが採れる

・火薬の原料硝石~坊津(ぼうのつ)湊で外国貿易から入手

・守りと攻めの両方に適用される独自の洗練された鉄砲運用術を確立した。

関ヶ原戦後家康との折衝の最中、新たな難攻不落の鹿児島城を築いたり東シナ海の海賊討伐に尽力して家康に圧力をかけた。

🔘明治維新では双璧であった薩摩と長州だが、関ヶ原戦後では大きく明暗を分けた。その要因は番組で挙げられたことなど色々な要因が重なっていると思われるが、結局のところ私の見方では当時のリーダーである島津義久、義弘兄弟と毛利輝元の器量の差に有るのではないかと思われる。

長州生まれとしては苦しい見方で残念であるが、危機時に於けるリーダーシップが如何に重要か教えられているような気がしている。

 

【冬の街 珈琲熱く バスは未だ】

 

🔘施設の庭の小菊