厚狭毛利家代官所日記㊻慶応元年④戦争準備

慶応元年(1865)は長州藩が幕府の大軍を迎え興廃を掛けて戦う四境戦争(第二次長州征伐)の年であり、4月に幕府は諸大名に動員令を発した。その後実際に幕府が長州に攻撃をかけるのが翌慶応2年6月であり、この一年強を長州藩は軍制改革、軍備増強に邁進する。

代官所日記の閏5月~8月にも藩の指示を受けその対応に関する記述が急激に増えてくる。(多数の記述を要約する)

①(兵糧米として使うため)米の売り出し、積み出しを禁じ領内の有徳人(うとくじん・金持ち)に積極的に他国米を買い入れるよう奨励する。無断で売り払った者は速やかに斬首、売り出し積み出しを速やかに届け出た者には褒美としてその分の5分(%)を与える。

この禁令に関して色々な禁制破りの問題事例が頻発していることが記録され、代官所はこの対応に追われている。

②松明(たいまつ)やわらじなどの準備も指示される。

③軍資金調達のため御立山(おたてやま・藩有林)の内厚狭毛利家が管理する御預山(おあずかりやま)3箇所の立ち木を入札、伐採して売り払い換金する。

(この頃の代官所日記は①と③の内容が全体の3分の2を占め領内の慌ただしい様子が見えてくる)

④藩の船を使い諸国物産を買い入れるので、浦々は船が湊に入る際は協力すること。(厚狭毛利領では、下津、梶浦など)

⑤藩の製鉄所の熔鉱炉に使用する焼石用に適した白土が領内の吉部田(きべた)村にあり、後程代金が支払われるとのことで村役人に対し400荷の堀採り運搬が指示された。(当時長州藩独自に製鉄所を運営していたことが分かる)

⑥武器調達

・古い不要(旧式)な大砲4門を山口に廃金属として送り、代わりに12ポンド砲4門、ライフル銃40挺、剣付銃110挺を買い入れるため代金を用意した。

・家臣1名を匕ストール(ピストル?)買い付けの為に下関に派遣した。

・農兵に対し刀を貸し出した。

等々

🔘当主の謹慎処分の汚名挽回に向け必死に藩の意向に沿うよう動く姿が浮かび上がってくる。

 

【 嬉しさと 忙(せわ)しさ通う 数えの日】

🔘介護棟の庭シリーズ、

風が建物で遮られているためパンパスグラスがまだ充分に佇立している。