NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は最近相当人物の入れ替わりが激しいが、なかでも存在感のあるひとりが後鳥羽上皇のアドバイザー「慈円僧正(じえんそうじょう)」、この振る舞いを見て以下を書くつもりになった。
慈円を演じているのは山寺宏一という方で、私は全く馴染みがなかったが声優などの世界では有名な方らしい。
数学者の新井紀子氏は読解力の大切さ、タレントで法学者の山口真由氏は国語力の大切さをマスコミなどを通じ折に触れて説かれている。
お二人の考えを聞く以前から、実生活を長い間生きてきての実感として思ったのが、読解力、文章力と言ったことも含めて、日本語、国語、を深く身に付けることが如何に大切かが段々に自分自身分かってきたような気がしている。
振り返ってみると仕事、趣味、社会生活といったなかでの「自分で考える」場面で、当たり前ながら自分の持つ日本語・国語力、持てる言葉、語彙や文章の範囲内で考えているという事実に突き当たる。
結局あらゆる場面で自分の理解している国語力の範囲内でしか物事は考えることが出来ない。
場合によっては自分で言葉や表現を作り出して考えを進めていくこともあるのだろうがそれとて国語力の基礎が必要である。
作家・司馬遼太郎さんの著作集「この国のかたち」のなかに「言語についての感想」という誠に長い随想があり、そのなかの一部には漢文からヤマトコトバ、かな文字から文章日本語が徐々に出来て、教育としての「国語」が明治に始まることが書かれている。
そのなかであの慈円やその著作「愚管抄(ぐかんしょう)」に触れ、その時代文章としての日本語が無く漢文のみであるなか、日本語文章を手作りしたものだと書かれてある。
慈円は「愚管抄」のなかで仮名(かな)で書くのはひろく世間の人々に本当の物事を知ってほしいためだとしているとのことである。
慈円は関白・九条兼実(かねざね)の弟の出自で仏教界のトップ天台座主(てんだいざす)を勤める超エリートで中世きっての名僧とも云われるが、当時の常識・漢文にとらわれず新しいことにチャレンジしており、このような先人の努力の積み重ねで日本語の骨格、文章が出来上がり、その恩恵を私たちが受けていることになる。
極端に云えば日本の発展はこのような国語の形成の歴史に有るのかも知れない。
🔘山口県在住の同級生から蕎麦の収穫が終ったとの便りが届き、綺麗な花も含む成育過程がわかる写真も添えてあった。県内内陸にあり栽培に適しているらしい。
【秋蕎麦の 収穫終えて 畑(はた)安堵(あんど)】