旧日本軍の「軍隊手帳」

旧日本軍の「軍隊手帳」というものを初めて見させてもらった。正確には表紙に「軍隊手牒」と旧字体で書かれているもので旧陸軍兵の所持した形式、海軍は錨マークが入った別物があった。

旧軍はこの手帳の取り扱いを厳しく指導したとされ汚すことなどもっての他で内容の暗記も要求された。

入居している施設の俳句サークルに入っている方から参考にと父親の遺品を持参いただいたもので、このような手帳が有ることは知っていたが実物は初めてである。

内容を見ていくと

1、軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)

明治15年天皇の名で発せられたもので、過去の歴史から説き起こし軍人の本分を示し、大正、昭和の代変わりの追加分もそれぞれ載っている。

明治15年の最初の軍人勅諭は故郷の大先輩で奇兵隊出身、明治陸軍の骨格を作った山県有朋(やまがたありとも)が主導したと言われ、そのせいか国民的人気はその功績に比して高くない。

2、心得

軍隊手帳の取り扱い、召集に応じた際や出征時の注意事項が書かれている。

3個人情報

部隊名、階級(当人は二等兵一等兵上等兵)、兵科(当人は工兵で衛生兵としての教育を受けている)、戸籍、賞罰、など兵の情報が網羅されている。

4、履歴

昭和18年応召以降の軍歴が細かい字でびっしり書き込まれている。これは軍隊内で専門の担当が引き継いで書き込むようになっており細かいながら読みやすい。

当人は満州の部隊に配属されたものの直ぐに朝鮮の部隊に転属、その後朝鮮、満州、中国、を経てフィリピンマニラ、セブ島、台湾を経て小笠原諸島母島から父島で終戦を迎えられた。

昭和21年2月3日浦賀・横須賀に上陸復員帰国を果たされるまでがびっしりと書き込まれている。

🔘このような戦争に直接関わるものを目の当たりにすると先の戦争は歴史の中のことでなく目の前に有ったことだと今更ながら痛感する。

この手帳の持ち主の方の移動経路を見てもその労苦が察せられるが、それと共に当時の日本が如何に無理なことを重ねていたかがよく分かる。

孫達の世代でもこのような手帳を携帯せずに済むようにしなければいけない。

🔘昨日庭に出て見ると以前このブログに写真で紹介した際には別の箇所でつぼみ状態だった南蛮煙管(ナンバンキセル)が咲いていた。ススキの根に寄生しているが昨今の雨が程ほどに生育に役立っているようだが、みな俯き加減。

 

【また会えて 南蛮煙管 羞じらいぬ】