キューバ危機の記憶

NHKのドキュメンタリーに「映像の世紀」という番組があり最近はこれに「バタフライエフェクト」という副題をつけ蝶々(バタフライ)の羽ばたきのような小さく見える動きが世界的な事件等に大きな影響や効果(エフェクト)を与えているような事例を記録映像で編集し放送されている。

直近ではアメリカとソ連が核戦争寸前まで行った「キューバ危機」を取り上げ、結果的にその戦争を防ぐことに影響を与えた、すなわち蝶々の羽ばたきをしたのが、ソ連の情報をアメリカにもたらしたロシア人スパイだったことを放送していた。

関係の書籍や映像何れを見ても異口同音に、この時は第二次大戦以来本当に世界戦争になる危機と評しており、現在のウクライナ戦争とはくらべものにならない程核戦争の可能性が高かった。

アメリカとソ連とのチキンレースのなかで両国には強硬論者がいて核の先制攻撃を進言し、いつボタンが押されてもおかしくないような状況が現実にあった。
アメリカのケネディソ連フルシチョフこの両方の指導者のうちどちらか一人でも別の人物であったら、実際に戦争が始まっていたかも知れない。

昭和37年10月23日~28日のキューバ危機、私は中学生だったはずでうっすらと新聞記事の記憶があるが、世の中に今映像で見るような緊迫感、切迫感は肌感覚に残っていない。
中学生の頃は既に毎日の新聞を読みTVニュースも見た筈でこの落差をずっと疑問に思っていた。

先日、岸信介氏の安保改定の事を再確認するため半藤一利さんの「昭和史・戦後篇」を借り出したことを書いたが、ついでにこの本の他の章も読んでいくと、この疑問に対する答えとも云える以下の記述があった。

『まさにこの(キューバ危機)一週間、世界はたいへんな緊張状態におかれました。すべての国が戦闘態勢です。日本はそんなこと存じません。当時、日本の外交はまったく何もしていません。出る幕なしです。ーーーーー
この時に米ソの緊張が核戦争の手前までいったということを、われわれはほんとうには認識していなかった。ーー』

私の記憶や肌感覚にピッタリする記述であった。

半藤さんは「日本は外交というものを知らない国ではないか」と書いているが、私はその時期の日本が脇目もふらず復興し経済的に繁栄することを大目標に、世界情勢に目を向けていなかったのではと考えている。

この脇目もふらずの影響は良くも悪くもその後の日本を形作ることになっているように思われる。

現在の日本を取り巻く情勢はこの脇目もふらずを許すような環境に無いのはもちろんだが、残念ながら脇目もふらずに邁進する目標や方策、手段を見失っているようにも見える。

🔘南東方向に見える低山、右側が旗振山(はたふりやま・2253m)左が鉄拐山(てっかいさん・237m)須磨から登山道が有るらしい。