「乳のごとき故郷」

今年1月30日このブログに『映画「蝉しぐれ」と作家・藤沢周平』と題して藤沢周平さんのことを書かせてもらったが後日近所の図書館にいくと、たまたま同じ藤沢さんのエッセイ集「乳のごとき故郷」と出会い借りだして読み終えた。
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以前にも触れたが藤沢さんは山形県庄内地方鶴岡市の郊外の出身で「これほど故郷に執着する作家もめずらしい」と世間から云われるほど、歴史小説の舞台やエッセイの対象も故郷を扱ったものが多い。

このエッセイ集も題名の通りまさにほとんどが故郷のことに関するもので、読んでみて若き日に過ごした故郷への感情が半端でないことが良くわかる。

藤沢さんは25歳、故郷での教員時代に肺結核を患い東京多摩の病院に入院し以後ずっと故郷を後にして生活し時折帰省する事で故郷と向き合っている。
私も18歳で故郷・厚狭を離れ以後は時折の帰省で厚狭と繋がって来た。

故郷の方向は違えど「ふるさとは遠きにありて想うもの」という視点に立つと、この本に書かれてある心情の色々が極めて自分と重なって見え隠れする。

題名になっている「乳のごとき故郷」の意味合いについて次のように記されており何か自分のことを代弁して貰っているような気がする。
『エッセイの中に、自分の生い立ちと自分のまわりに母乳のごとく存在した風土、風習などを明示することで、私は新しい生き方に必要なアイデンティティーを確立出来たのだと思う。~~』

やはり人は生活し生き抜いていくためにアイデンティティーを確立することが必須条件であり、自分の過去を振り返ってみてもとても共感出来る。

藤沢さんが懐かしむ子供時代の行事のひとつが年に一度の「川干し」だが土地は違えど私にも全く同じ想い出が残っている。
私の方は「川さらえ」と呼んでいたが、年に一度上流にあり三年寝太郎の伝説が残る「寝太郎堰(ねたろうぜき)・大井手(おおいで)」をせき止め、この間に水路の補修や清掃を行うもので子供は水の減った水路の魚捕りに走り回り、日頃は滅多に巡り逢えない大物に出合う機会となる。

アスファルトの端で必死で頑張っているように見えるのはノゲシのような気がするのだが?
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