NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」では伊豆国(いずのくに・静岡県)に流された源頼朝のことを、北条氏一族や、関東の武士達がしきりに「佐殿(すけどの)」「佐殿」と呼び立てる。
これは頼朝が流人(るにん)になる前に朝廷の官職・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任官していた為で、この略敬称として呼んでいる。
権(ごん)とは定員外で仮の、臨時のという意味合いで、例えば九州を統括する大宰府(だざいふ)の長官は太宰帥(だざいのそち)であったが左遷された天神さま・菅原道真は太宰権帥(だざいのごんのそち)であった。
律令制度のなかの全ての役所の官職は上から〔かみ、すけ、じょう、さかん〕と呼ばれる四等級で構成されていた。
呼び方は同じ「すけ」でも役所の種類によって当たる字が異なり、
・武官の府である左右の衛門府(えもんふ)や兵衛府(ひょうえふ)は督、佐、尉、志、
・諸国の国司では守、介、掾、目
・大蔵省などの省では卿、輔、丞、録
・内匠寮(たくみりょう)などの寮では頭、助、允、属
等と表し、同じ「すけ」でも例えば真田左衛門佐(幸村)、大石内蔵助(良雄)、吉良上野介(義央)といった具合で時代劇などで耳にする事になる。
それぞれの官職には対応した位階があり真田幸村の左衛門佐は従五位下(じゅごいのげ)となっている。
もちろん源頼朝はこのままで終わらず正二位・征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となって鎌倉幕府を開く。
尚、征夷大将軍とは律令制の令のなかには無いいわゆる令外(りょうげ)の官で、元は北の蝦夷(えみし)を討伐するための臨時の官職であった。
頼朝はこの官職を得て、以後続く武家政権の基本路線を敷いたことになる。
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