蔵書の始末②活字離れのことなど

終活の一環として若いときに購入した本の始末に取り掛かっている。途中からこのまま購入を続けると置き場や始末が大変と思い始め、図書館や文庫本の活用に切り替えたが既に結構な量になってしまってる。
・記憶に残すため蔵書全体(文庫本を除く)を撮影した。
f:id:kfujiiasa:20220111135319j:plain
f:id:kfujiiasa:20220111135404j:plain
f:id:kfujiiasa:20220111135429j:plain

手始めに昨日大阪市内梅田に古くからある古書店に引き取りに来て貰った。
店主の話では昨今の活字離れ、インターネットの普及で古書市場が様変わりして古書店の店じまいも多く、若い人の買い手もなくなっているとのことで、蔵書全体を見て貰ったがとても引き取れないとの事であった。

せっかく雨のなか来て貰ったので、販売可能と見込まれるものだけでも引き取って貰うことになり荷造りして貰った。
岩波書店関係の全集ものはまったくダメとのことで、一部無名に近い人の全集、近現代史関係の史料、一部の小説、近世史関係の史料、一部の海外文学等は何とか引き取りの対象であった。
・引き取り対象荷造り分
f:id:kfujiiasa:20220111161441j:plain

これとは別に千冊近い大量の文庫本を押し入れから出して段ボール詰めにしていたが、当初は渋ったものの何とか引き取って貰った。
・文庫本の段ボール詰め
f:id:kfujiiasa:20220111135726j:plain

今、電車に乗って新聞を拡げると奇異な目で見つめられる。また文庫本を読む人は希に居られるがスマホを見る人に比べると多分1割未満ではないかと感じる。
良い悪いは別にしてここ10数年で活字に対する状況が激変したことは間違いない。

こういう自分も、わからないことがあれば時間をかけて中之島図書館に行っていたことを忘れ、すぐにスマホで検索するのが当たり前になってしまっている。

自分の目の前で大きな地殻変動が起きていることを今更ながら再認識した。

それはともかく残ったまだ大量にある本(多分トラック一杯分)をどう始末するか悩ましい。

◎公園の隅で寒いなか静かに自己主張している花、今の時期咲いているだけで嬉しい。
f:id:kfujiiasa:20220111160934j:plain
f:id:kfujiiasa:20220111160957j:plain