赤壁(せきへき)の戦い

古代中国後漢(ごかん)末期、魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国が鼎立(ていりつ)して争った三国時代を著した書、三国志三国志演義は日本でもファンが多くコミックにもなっている。

西暦308年「赤壁の戦い」はその中のクライマックスのひとつであり、北から攻める圧倒的に優勢な曹操(そうそう)の魏軍に対し、劉備(りゅうび)とその軍師・孔明(こうめい)の蜀、孫権(そんけん)とその将帥・周瑜(しゅうゆ)が率いる呉が手を結び、長江(ちょうこう・揚子江)中流域・赤壁で、水軍同士で戦い、孔明の戦略戦術と周瑜の実戦指揮で蜀・呉の連合軍が勝ったといわれる。

この戦いは直訳そのままの「レッドクリフ」として映画化され日本でも公開された。

井波律子編「中国の名詩101」新書館 刊を読んでいるのだがこの中には2編の「赤壁の戦い」に関した詩が載っており今更ながら中国でもこの三国志の物語が時代を越えて愛されていると感じる。
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その内の1編 唐代 杜牧(とぼく)作

赤壁
折れし戟(げき)は沙(すな)に沈み 鉄未だ銷(しょう)せず

自ら磨洗(ません)を将(もつ)て 前朝(ぜんちょう)を認む

東風(とうふう)周郞の与(ため)に便ぜずんば

銅雀(どうじゃく) 春深うして 二喬(にきょう)を鎖(とざ)さん

『折れた戟(武器・鉾の一種)が砂に埋もれていたが鉄はまだ錆崩れてはいない。
手に取り洗い磨くと三国時代のものであると分かった。
もし東からの風が周瑜に味方をしなかったなら喬氏の姉妹は春深く、銅雀台に閉ざされただろう。』

三国志では、東風を予め想定した蜀・呉連合軍はこれを利用して、火をつけた船を魏軍の船に衝突させて焼き払い大勝したとされる。
呉国には美人で名高い喬氏姉妹が居り各々孫権周瑜に嫁いでいたとされ、魏の曹操は勝てば自らの根拠地・銅雀台に連れ帰るつもりであったと云われる。

この間のことは映画「レッドクリフ」で色々と脚色されている。

◎この詩が詠まれた唐の時代は赤壁の戦いから約300年以上経過している。長江のほとりでもあり戟がまだ錆崩れていないのは本当だろうか?想像で詠んだのだろうか?

◎柿の季節、近所でも少しずつ色付き始めた。
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