9月3日のこのブログに、地域のゴルフコンペで滋賀県大津市瀬田のゴルフ場に行く予定が雨で中止になり、その関連で天智天皇の時代、志賀の都のことを書いた。
昨日、リベンジを兼ねて地域のゴルフ仲間4人で晴天を狙い、この瀬田のゴルフ場に出掛けてきた。
今朝は起きぬけから雨が降っていて朝の体操をしながら昨日で良かったとつくづく思った次第。
スコアーは44、47、トータル91、後半ショートホールでのトリプルボギーが悔やまれる。目標に2打未達。
ひとつ反省点が分かったので練習で試して見るつもり。
実は大津京・志賀の都については、先日このブログに書いた「琵琶湖周航の歌」とは別に間接的ながら忘れられない歌がある。
唱歌「青葉の笛」は母親が好きだった歌で、落日を迎えた平家のエピソードを詠ったものだが、その二番
♪︎♪︎更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き
わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ♪︎♪︎
この二番の歌詞は平家一門で和歌に堪能だった薩摩守・平忠度(たいらのただのり)を詠った歌で、都を落ちる際に師である藤原俊成(ふじわらのとしなり)に自作の和歌を託した故事をベースにしている。
後に師の藤原俊成は託された和歌の中から一首を、自身が編んだ千載(せんざい)和歌集に、隆盛の源氏をはばかり詠み人しらずとして取り上げた。
その和歌
『さざなみや 志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな』
ーーー平家が栄華を極めた時代、平忠度も琵琶湖の周辺、私たちがゴルフをした辺りにも出掛けたのだろう。