「ふりさけ見れば」と戦争捕虜

日経新聞に連載中の作家・安部龍太郎さんの小説「ふりさけ見れば」は連続TV小説「おかえりモネ」と併せ毎日の楽しみになっている。

養老元年(717)遣唐使として大陸に渡った、安倍仲麻呂(あべのなかまろ)や吉備真備(きびのまきび)の物語である。

この中で9月3日のこのブログの「志賀の都」の関連で触れた、唐と朝鮮半島新羅(しらぎ)の水軍に大和朝廷朝鮮半島百済(くだら)の連合船隊が朝鮮沖で大敗した「白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦い」(663)の折の日本の戦争捕虜のことが出て来ている。

慶雲4年(707)5月の「続日本書紀」の条に、讃岐(香川県)、陸奥(福島、宮城、岩手、青森各県)、筑後(福岡県)出身の捕虜が遣唐使船と一緒に帰国し、それぞれ衣、塩・籾(もみ)を賜ったと記されているとのことである。
これらの10人は捕虜となった後、唐の奴婢(ぬひ)として40年余り労役に従事させられていたらしい。

何とも言い難い40余年、誠に長い40余年の歳月である。

先の大戦でもシベリア抑留等の悲惨な事例があったが、そのひとつにフィリピン・モンテンルパ市刑務所のBC級戦犯の事例がある。

歌手・渡辺はま子さんは縁あってこの刑務所に収監されている元日本兵が作った歌「あゝモンテンルパの夜は更けて」をレコーディングし、その曲が当時のフィリピン大統領にも届き100人以上の収監者の特赦解放に繋がった。

この歌をYouTubeで聞くとなぜか途端に涙が出てくる。

私が現役の頃、仕事でフィリピンに出張した折、たまたま通ったマニラ市郊外の土地の名前を現地人に聞くと、そこが「モンテンルパ」であり、日本人としてつい何とも言えない深い感慨に襲われた記憶がある。

戦争の周辺にはこのようなことが無数に埋もれている。

◎これはケイトウ(鶏頭)の仲間のような。
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