イザベラ・バード「日本奥地紀行」

イザベラ・(ルーシー)・バード女史(1831~1904)は英国の旅行家、探検家、随筆家でアジアも含む世界の辺境を旅し著作を残した。
女史は明治初期来日し、変化しつつあった日本の東北地方から更には北海道を旅行し妹への書簡なども交えこのときの率直な旅行記を残した。

以前からこのイサベラ・バードの事績をもう少し知りたいと思っていたが、この度その希望が叶うことになった。

その一つはNHKBSプレミアムで過去に放送された番組を再放送するプレミアムカフェで、このイザベラ・バードが旅した東北地方を中心にその足跡を訪ねる2012年の番組「にっぽん 微笑みの国の物語」が再放送され、それを運良く録画して観たこと。

番組では同国人の若い女性を同じルートで旅して貰いながら、その感想を交えつつ当時の東北地方の風景、人情、生活実態、あるいは旅の苦労例えば人々の異邦人に向ける時に煩わしい好奇の眼差し、ノミや虫が跋扈する不衛生なところ、真面目で勤勉な生活などが赤裸々に描写される。

この番組を観て、イザベラ・バードの著作に直接触れたくなり八尾市立図書館の蔵書検索でこの番組の元になった著作、平凡社東洋文庫「新訳 日本奥地紀行」金坂清則訳 を探し、借り出して読み終えることが出来た。
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イザベラ・バード日本紀行をバックアップしたのは幕末の志士や明治政府高官と交遊のあった、当時の有名な駐日英国大使・ハリーパークス、通訳官・アーネストサトウ等であったが彼女はこの旅でこれ等の人物以上の英国人知日派になったはずである。

彼女は明治11年(1878)の約半年間、この旅に伊藤鶴吉という日本人通訳一人だけを連れて陸路を行き、命の危さを含み健康、食事などにも不自由しながら目的を完遂する。

簑笠姿のイザベラ・バード(自身が描いた銅版画、顔だけは日本の娘に似せたと書かれてある)
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とりわけ秋田県米代川増水下での船旅は、あと一歩で遭難という凄まじいもので全体の苦難の象徴とも云える。
英国女性のそのへこたれない冒険心やチャレンジ精神には驚くほかない。

この本の中の昔の日本の描写では、何回か感動で涙が出そうになったが、その内の一ヶ所を載せておきたい。

栃木県日光を記述した部分
〈私は、わが子をこれほどかわいがる人々、歩くときに抱っこしたり、おんぶしたり、手をつないだり、子供が遊ぶのを眺めたりその輪の中に入ったり~~

彼らほど子供がいないと心満たされず、よその子供たちに対してさえそれなりの愛情と心づかいでもって接する人々も見たことがない。~~

子供たちは、私たちから見るとあまりにおとなしく礼儀正しいが、顔つきにも振る舞いにもとても好感がもてる。
また、実に素直で従順であり、自ら進んで両親を手助けし弟や妹をとても思いやる。~~〉

◎庭のサンパラソルはツル性の植物で、近くの山茶花に絡んで昇っていき、とうとうその中を這い上がり顔を出して咲いてきた。
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