厚狭毛利家代官所日記④天保6年④遠島処分

6月9日の続き

時代劇では江戸町奉行などが犯罪者を遠島処分すなわち島流しの刑を言い渡す場面がよく出てくる。
代官所日記天保6年分には厚狭毛利領内でも遠島処分になった例が記載されている。

古い日記の事なので一部に虫食いもあり、また詳しいことまでの記載に欠けるが7月3日から9月25日までの間、断片的に書かれてあることを私なりに要約した内容は次の通り。

厚狭広瀬村百姓・河野九兵衛は役目中に米の取引を行い多額の公金に損失を出して出奔した。(九兵衛は苗字もあり村の下役人だったと思われる)
その後、後悔して立ち帰ったので萩表でも詮議した。この間当初の公損失が減ったこともあり厳科に処すところ格別の配慮を以て遠島処分を仰せ付ける。
(本来は死罪相当だったのかもしれない)

この事は萩本藩とも連絡済みで吉田宰判を通じて島を借りることの了解を得ている。
実際の島への連行などは吉田宰判の下役人が行う。
島扶持(島での生活費と思われる)は厚狭毛利側の負担のようで多分九兵衛が属する広瀬村百姓組が負担することになるのだろう。

島流し期間は書かれておらず無期刑か有期かは不明である。
また島流し先が三嶋と書かれてあるがこれがどこを指すのか、萩沖の見島なのだろうか不明である。
萩藩の吉田宰判宛に「借島」という表現があるところから長州萩藩の領内の島と思われるのだが。
(この島流し先については山口県文書館にも確認したが分からなかった)

厚狭毛利領はあくまで萩藩の分家が給領地をあずかっている形であり、何かにつけて本藩の代官所である吉田宰判所や船木宰判所に気を遣う様子が切実に伝わってくる。
さしずめ「分家はつらいよ」だろうか。

それにしても現代に比べると公的なものに損害を与える事の罪が極端に重い事がわかる。

◎図書館の玄関脇に咲いているこの花は?