ミチクサ先生・「文学というもんは何の役に立つんかね?」

日経新聞に連載中の作家・伊集院静さんが、夏目漱石を主人公に書いている小説「ミチクサ先生」では、親友・正岡子規が既に亡くなり、漱石は丁度、政府派遣の英国留学を終えて帰国した。

家族の出迎えを受けるが、東京新橋駅へ向かう汽車中で岳父(がくふ・妻の父)から素直で真剣な質問を受ける。
「文学というもんは、特に英文学は何の役に立つんかね?」

この質問:「○○は何の役に立つ?」は文学に限らずあらゆる分野の学びや活動に共通のもので、これにどう向き合うか色々考えたりした人が私を含めて多いに違いない。

伊集院静さんは夏目漱石にどう答えさせるか、連載紙面をとても注目して2回読んでしまった。その答えにつながる部分を抜粋すると、

「岳父さん(おとうさん)、文学を学び、この文学を論じようとする時に、今、岳父さんのおっしゃった疑問がまずあるのです。私もそうでしたし、異国で学んだ最初がそれでした」

「書物を読みますと、あらゆる学問には必ず、その問いに似たものがあります。何の役に立つのかというのは、何のためにか、という問いと共通しています。しかしそれは言い方の違いであって、大切なのは答えです」

「今の私にはこう答えるしかありません」

「それは自分の発見です。~~~シェークスピアを二年間学びました。そうして、そこに登場する人たちの、悲しみ、喜びを自分のことに置きかえるようになりました。そこに、自分の悲しみ、喜びを感じることがありました。それが自分の発見のはじめでしょう」

無頼派とも云える伊集院静さんにしては、優等生に過ぎる答えを漱石に語らせている気がするが、確かに「自分の発見」は答えの一つかもしれない。

私の答えの一つは
「たまたま何かの役に立てばそれに越したことはありませんが、すぐに役に立たなくてもいいのです。それを学んだり知ること自体に価値があるのですから」

◎ジャガイモ畑のなかで小さく咲いている雑草の花
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