毛利一門家のことなど

私の本「厚狭吉亭日乗」は定年まで勤務した職場の先輩にも送ったのだが、その中の神戸在住のお一人からの連絡で、故郷が山口県の現在下関市域にある阿川(あがわ)と聞きビックリした。
また同じく本を送らせて貰うためにお聞きした中学同窓会の幹事の方の住所が山口県の現在防府市域に入る右田(みぎた)でこれにも驚いた。

このブログに、私の故郷厚狭を江戸時代・藩政期に治めてきた厚狭毛利家の歴史を書いてきたが、厚狭、阿川、右田いずれも毛利家の一門が治めた山口県内に現存する地名で、その地名が一門家を表すことになっている。

関ヶ原の敗戦で長門・周防2ヶ国になった大名としての萩毛利家は、その同族関係に、末家といわれ徳川家臣としての立場も有する分家大名、長府、徳山、清末、と岩国領主吉川氏を抱えていた。

その次に位置するのが家臣団の最高位で親族でもある一門六家である。この集団は全て毛利元就の系譜に由来する家である。
・第一席 三丘(みつお)宍戸家 始祖:元就正室長女の娘婿 宍戸隆家 11300石
・第二席 右田(みぎた)毛利家 始祖:元就7男元政 16000石
・第三席 厚狭(あさ)毛利家 始祖:元就8男元康 8300石
・第四席 吉敷(よしき)毛利家 始祖:元就9男秀包 10800石
・第五席 阿川(あがわ)毛利家 始祖:元就孫繁沢元氏 7300石
・第六席 大野(おおの)毛利家 始祖:元就ひ孫吉見就頼8600石

一門家は家臣として官僚機構の内にあり職制上就任する役職は概ねそのトップである当役、当職、加判役に限定されていた。
・当役 藩主の補佐の為参勤に随従する側近
・当職 国許で財政諸役所を統括する
・加判役 重要書類に判を押し家臣団を統制する

江戸時代各藩では藩主が登用した家臣、家老と一門、親族が反目するいわゆる御家騒動がよくみられ、多くの大名家では「御一門払い」と呼ばれるような、大名との血縁関係によって地位を保っていた家が追放されたりした。
しかし毛利一門家では隠居、謹慎などの処分事例はあるものの極端な事例は無く、相続にはたびたび養子を入れながらも、全て明治維新まで存続した。

◎今日の収穫わけぎと大根、近所へもお裾分け
f:id:kfujiiasa:20210307194143j:plain
f:id:kfujiiasa:20210307194219j:plain